戦国時代はほとんどの場合男が活躍したけど
中には女性が指揮をする場面もあったみたいだね
女武将のうわさは全国各地で飛び交っていたんじゃ
今回は戦国時代を駆け抜けた女武将を5人紹介していきます!
瀬戸内のジャンヌダルク!?
京都から離れた瀬戸内海でも戦国乱世の風は吹き荒れていた。そんな中、大祝鶴姫は瀬戸内海の大三島に生まれた。父は神社の宮司であり、戦国武将ではなかったが、いつ攻め込まれるかわからないため、鶴姫の兄は武装して水軍大将を務めていた。
鶴姫は大柄だったから剣術を習っていたみたい
父が亡くなると、中国地方の覇者・大内義隆が瀬戸内の島々に侵攻を開始。はじめこそ大内軍と互角に戦っていたが、多勢に無勢。鶴姫の兄は戦死してしまう。そのため、鶴姫は兄に代わって水軍大将に任命された。鶴姫は大薙刀を奮って敵大将を討ち取る活躍をみせ、大内軍を撃退したという。
ところが、再び大内軍が攻め込んできた。鶴姫は大三島を守り抜いたが、恋人の越智安成が戦死してしまった。鶴姫はこのことにひどく悲しみ、その夜に入水自殺してしまった。
悲しい物語じゃなー
この話は創作ではないかといわれているよ
難攻不落の忍城を守った女武将
甲斐姫は群馬県に成田氏長の1人娘として生まれた。また、その美貌から「東国無双の美人」と称されていた。氏長は甲斐姫しか子がいなかったため、武術の稽古をさせており、男であれば成田家を再興できるほどの人物と称賛された。
甲斐姫の祖母も北条家から城を守った女武将だったようだ
時は過ぎて、天下人豊臣秀吉は関東征伐を決行した。成田家は北条家に味方していたため、石田三成の率いる豊臣軍によって忍城が攻められることになってしまう。ところが、忍城の城主・成田氏長は北条の本陣にいた。そこで、甲斐姫は父に代わって城主を務めた。
忍城は難攻不落の城で、なかなか陥落しなかった。石田三成は苛立って水攻めを敢行するも、それでも忍城は陥落しなかった。最後の手として、三成は大軍で一気に忍城に押しかけた。その時、甲斐姫は薙刀を持って立ち上がり、大軍の石田軍を退けたという。
甲斐姫が指揮を奮ったことで
忍城は守られたんだなんだな
北条家が降伏すると、成田家も豊臣家と和睦。その条件として甲斐姫は豊臣秀吉の側室として召し抱えられることになった。秀吉の側室となってからは豊臣秀頼の養育係を務め、大坂の陣の時には脱出して尼になったという。
甲斐姫が秀吉の側室となってからは行動が不明なんだよな
大河ドラマの主人公
井伊直虎は2017年の大河ドラマの主人公となった女武将。井伊直虎は静岡県に井伊直盛の娘として誕生した。ところが、今川家に敗れたことで、井伊家は弱っていた。そこで、直虎は親戚の井伊直親と婚姻することで井伊家の再興を図った。
しかし、家臣の裏切りに遭い、井伊家の男たちは次々に処刑されてしまった。このとき直親は身を隠し、直虎は出家した。井伊家を裏切った家臣が亡くなると、直親は井伊家に復帰。直虎もようやく結婚できると思ったが、直親にはすでに妻と子がいた。
側室だと意味がないなら結婚しなかったんだろうな
その後桶狭間の戦いが起こると、疑心暗鬼となった今川氏真により、直親が討たれてしまう。井伊家の男性が幼い井伊直政だけとなってしまったため、直虎は立ち上がった。直政を寺に隠すと、勢力を拡大していた徳川家康と面会。直政を家臣にしてもらうように頼み込んだという。家康は直虎の申し入れを受け入れ、直政を家臣とした。
直虎は直政の成長を見届けながら亡くなってしもうたんじゃ
わずか7歳で女城主に
戦国時代には全国各地で女城主の逸話が残っているが、資料にはっきり残っているのは立花誾千代のみ。立花誾千代は雷神の立花道雪の1人娘として生まれた。道雪には男児がいなかったため、主君の大友宗麟に頼み込んで7歳の誾千代に家督を譲った。その後、誾千代は武勇で名高い立花宗茂と結婚した。
立花道雪は主君には厳しく
家臣には優しい武将じゃ
豊臣秀吉の勢力拡大に伴い、主君の大友家が改易され、立花家は大名として独立した。夫の宗茂が出陣する際は誾千代が女子組を編成して城を守った。さらに、関ヶ原の戦い後に夫の宗茂不在の中、加藤清正や鍋島直茂に城を攻められたが、誾千代が指揮をとって撃退したという。
宗茂も誾千代も強い武将だったってことですね!
まとめ
大祝鶴姫・・・瀬戸内海の大三島を大内義隆から守り抜いた
甲斐姫・・・忍城を豊臣軍から守り、後に豊臣秀吉の側室となる
井伊直虎・・・滅亡の危機であった井伊家を再興し、井伊直政を救った
立花誾千代・・・7歳にして女城主となり、戦国最強の立花宗茂と結婚した
戦国時代には歴史に名を残した女武将が存在していました。今回は4人の女武将を取り上げましたが、まだまだたくさんいるため、好評であれば第2段も開催したいと思います。
島津をビビらせた女武将もいるしなー