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[大河ドラマ2023・どうする家康]瀬名・築山はなぜ松平信康とともに切腹させられた? 築山事件の真相

大河ドラマ
ひろ
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大河ドラマでも瀬名・築山殿松平信康の事件は濃く描かれそうですね

徳川家康
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わしは今川氏真から取り返した瀬名松平信康が切腹させられるとは、、、

ひろ
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今回は切腹事件の真相に迫ってみました

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築山事件の概要

築山事件とは徳川家康(松本潤)の長男・松平信康(細田佳奈多)とその母の瀬名・築山殿(有村架純)が切腹させられた事件です。

江戸時代に書かれた「三河物語」によると、織田信長(岡田准一)の娘であり、松平信康の正室・五徳(久保史緒里)は今川家出身であるため築山殿との折り合いが悪く、松平信康ともに不仲となっていました。そのため、五徳は父の織田信長に12カ条の手紙を書き記して、使者として徳川家康の重臣・酒井忠次(大森南朋)を送りました。織田信長は酒井忠次に弁明するように尋ねたが、酒井忠次は全くかばわずにすべて真実と認めます。この結果、織田信長は徳川家康に松平信康と瀬名・築山殿の切腹を命じました。

徳川家康はやむえず、瀬名・築山殿を二俣城で処断。さらに、幽閉中の松平信康に切腹を命じました。

ひろ
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通説として広まっている築山事件の概要はこのような感じですね

築山事件の相関図

松平信康の3つの切腹理由

五徳と築山殿不仲の説

信康の切腹については江戸時代にかかれた「三河物語」での内容が通説化しています。それには信康の妻・五徳と母・築山殿は仲が悪く、さらに信康は徳姫が娘しか産まないことをなじって信康と徳姫も不仲になったといいます。そのため徳姫は父・信長にこの事を手紙で伝えて、これを知った信長は激怒し、築山殿が武田家と内通しているということにして信康に切腹を要求したといいます。

このとき家康は信長の家臣同然だったため、逆らうことができずに、信康は切腹することになってしまいました。

ひろ
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この説は信長に甘すぎるように思えますね

松平信康の暴君説!?

信康は普段から気性が荒く、乱暴な振る舞いをしていたようです。

例えば、盆踊りの際に目についた貧相な領民を射殺。また鷹狩りの途中で僧侶に会うと獲物が少なくなってしまうという迷信を信じ、僧侶を縄で縛って絞め殺したいいます。このような経緯から信長が切腹を迫ったという説です。

ひろ
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信康が暴君でも、信長が切腹を迫るのは変ですよね

松平信康と徳川家康の確執

家康と信康は日頃から仲が悪く、家臣の間にも派閥がうまれていたといいます。また、信康の教育は築山殿など旧今川家のものだったため、信康が成人して以来家康のことを敬わず親子の仲が悪くなってしまったそうです。

さらに信康の切腹のとき、信長は「信康を殺せ」ではなく、「家康の思い通りにせよ」と伝えているので、家康が信康と築山殿を疎ましく思っていたのではないかという説です。

ひろ
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これは家康が信康に対して期待していたという話と食い違ってきますね

瀬名・築山の切腹理由

築山殿は徳川家康と岡崎城で暮らしていましたが、家康が遠江(静岡県)の平定を進めるために浜松城に移りました。築山殿は長男の信康を見守るために岡崎城にとどまりました。

そのために、築山殿と家康の関係が疎遠となってしまったせいか、家康は築山殿の許可をなしに側室をもうけて次男の結城秀康を出産させてしまいます。築山殿はこのことにひどく激怒し、側室のお万の方と結城秀康を家康のもとから遠ざけてしまいます。

ひろ
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正室が側室をだれにするかを決められるから

築山殿が激怒するのは当然ですね

徳川家康
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築山殿の方も滅敬めっけいという唐(中国)の医師と

不倫関係にあったそうじゃ

また、徳川家を震撼させる大岡弥四郎事件というものが起こりました。岡崎町奉行であった大岡弥四郎が徳川の家臣であったにも関わらず、武田勝頼と内通し、武田軍を岡崎に引き入れようとした事件がありました。このときに築山殿も武田からの誘いに応じてしまったといいます。そのせいで、浜松城にいる家康側の家臣と岡崎にいる信康側の家臣との間に亀裂が起こったと考えられています。

ひろ
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長篠の戦いが起こる前だったから

徳川家臣の中には武田に従いたいと考えるものも多くいたそうです

また、長男の松平信康は織田信長の娘の徳姫と結婚し、登久姫熊姫をもうけました。しかし、築山殿は2人がいつまで経っても息子を産まないことを心配し、旧武田家臣の娘たちを信康の側室として迎えさせました。さらに築山殿は今川義元を討ち取った織田家をよく思っておらず、徳姫は「信長の娘だ」と傲慢に振る舞っていたといいます。そのため、築山殿と徳姫の関係は悪かったようです。

さらに、長男の松平信康は普段から気性が荒く、乱暴な振る舞いをしていたようです。例えば、盆踊りの際に目についた貧相な領民を射殺。また鷹狩りの途中で僧侶に会うと獲物が少なくなってしまうという迷信を信じ、僧侶を縄で縛って絞め殺したいいます。

ひろ
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このあたりは後世に創作された話かもしれません

徳姫は夫の信康や姑の築山との関係に嫌気が差し、父親の織田信長に手紙で報告したといいます。その中には、「築山が武田と内通している」ことも伝えられた可能性があります。

これを知った織田信長は徳川家康の弁明を聞くために、徳川重臣の酒井忠次を要請しました。しかし、忠次はあまり弁明しなかったといいます。

ひろ
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家康はこの忠次の振る舞いを一生恨んだともいいます

家康は織田信長に知られてしまったことや、武田との内通を食い止めないとならないと考え、松平信康を切腹に追い込みました。この問題を起こした発端の人物として築山殿も連座して処刑されてしまいました。

ひろ
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家康もどのように処罰するか悩んでいたといいます

実際には築山殿自ら自害したのかもしれません

五徳と切腹事件の関係

五徳は織田信長に寵愛されており、重要な同盟相手である徳川家康の長男・松平信康のもとに嫁がせました。この