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[大河ドラマ・どうする家康]督姫(キャスト:清乃あさ姫)は北条氏直に嫁ぎ、姫路城主の池田輝政と再婚した徳川家康の次女!年表 家系図

ひろ
ひろ

大河ドラマ・どうする家康」で登場する督姫

清乃あさ姫さんが演じている徳川家康次女ですね

徳川家康
徳川家康

督姫は徳川のために

北条氏直に嫁ぎ、ついで池田輝政に嫁いだんじゃよ

ひろ
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督姫姫路城での毒饅頭事件という有名なエピソードがありますが

一体なにがあったのでしょうか?

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督姫の年表

年表年齢出来事
15651徳川家康の次女として誕生する
158218天正壬午の乱で徳川と北条で領土争いが起きる
158319徳川と北条の和睦のために北条氏直に嫁ぐ
????長女・摩尼珠院殿を出産する
158622次女・万姫を出産する
159026小田原征伐
159127北条氏直が赦免されるも死去する
159430池田輝政と再婚する
159632長女・茶々姫を出産する
159935長男・池田忠継を出産する
160238次男・池田忠雄を出産する
160440三男・池田輝澄を出産する
160541四男・池田政綱を出産する
160743次女・振姫を出産する
161147五男・池田輝興を出産する
161349池田輝政が亡くなる
161450大坂冬の陣
161551享年51

督姫の家系図

督姫の母は西郡局

ふう・督姫(演 : 清乃あさ姫)は1565年に徳川家康(演 : 松本潤)次女として誕生しました。督姫の母は西郡局(演 : 北香那)で、西郡局は今川家の重臣・鵜殿氏の支流の出身でした。今川家の凋落後、西郡局は徳川に属していました。

ひろ
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どうする家康」では鵜殿長照

上ノ郷城の城主として活躍していましたね

督姫は北条氏直に嫁ぐ

1582年、本能寺の変の後、天正壬午の乱が勃発しました。この中で、徳川家康と北条氏政(演:駿河太郎)甲斐(山梨県)信濃(長野県)上野(群馬県)の領土を巡り争いました。和睦のための結びつきとして、徳川家康は娘の督姫を北条氏直(演:西山潤)に嫁がせました督姫は北条氏直との間に摩尼珠院殿万姫の2女を出産しました。

ひろ
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督姫と北条氏直との間に

北条氏次という男児もいたようです

1590年、豊臣秀吉(演:ムロツヨシ)による小田原征伐で北条家が滅亡した後、北条氏直は高野山に追放されました。1年後、罪が許されたため、督姫は夫のもとへと赴きました。しかし、すぐに亡くなったため、督姫は徳川家に戻りました。

ひろ
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豊臣秀吉は北条家を大名家として

再興させようとしていたようですね

督姫は池田輝政と再婚

督姫は徳川家康のもとで暮らしていましたが、豊臣秀吉の勧めに従い、池田輝政と再婚しました。2人の仲は良好で、彼らの間には5男2女が誕生しました。

ひろ
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池田輝政にとっても中川清秀の娘・糸姫を正室としていたため再婚でした

1609年、督姫は池田忠継、池田忠雄、池田輝澄を連れて駿府(静岡県)へと向かい、徳川家康と会見しました。その際、亡くなった母・西郡局のため、自らが浄土宗に改宗する代わりに、池田輝澄を日蓮宗に改宗させることを提案しました。

1613年、池田輝政が亡くなった後、督姫は池田家の相続問題のために駿府へと向かいました。

ひろ
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池田輝政が姫路52万石の大大名となったのは

督姫のおかげだったといわれています

後藤又兵衛
後藤又兵衛

福島正則は池田輝政に「わしは槍先で国を得た。されど、おぬしは一物の先で国を得たようなものよな。」と嫌味を言っておった

督姫と毒饅頭事件

督姫は徳川家康の次女であったため、江戸幕府内での発言力がありました。その影響力を活かし、池田家の繁栄のために尽力していました。一方で、実子を強くかわいがっていたためか、督姫は池田輝政の前の正室の子、池田利隆を排除し、実子の池田忠継に宗家を継がせることを画策しました

この計画を進めるため、岡山城で池田利隆との対面の際、毒入りの饅頭を勧めたと言われています。しかし、池田利隆は既に女中からその情報を得ており、饅頭に手を出さなかった。それを知った実子の池田忠継は、兄を守るために自らその饅頭を食べてしまったとされています。この事態を目の当たりにした督姫は、自らの行為を深く後悔し、同じ毒饅頭を食べて命を絶ったと伝えられています

ひろ
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この毒饅頭による事件はだとされています