
「大河ドラマ・どうする家康」で登場する督姫は
清乃あさ姫さんが演じている徳川家康の次女ですね

督姫は徳川のために
北条氏直に嫁ぎ、ついで池田輝政に嫁いだんじゃよ

督姫は姫路城での毒饅頭事件という有名なエピソードがありますが
一体なにがあったのでしょうか?
督姫の年表
年表 | 年齢 | 出来事 |
---|---|---|
1565 | 1 | 徳川家康の次女として誕生する |
1582 | 18 | 天正壬午の乱で徳川と北条で領土争いが起きる |
1583 | 19 | 徳川と北条の和睦のために北条氏直に嫁ぐ |
?? | ?? | 長女・摩尼珠院殿を出産する |
1586 | 22 | 次女・万姫を出産する |
1590 | 26 | 小田原征伐 |
1591 | 27 | 北条氏直が赦免されるも死去する |
1594 | 30 | 池田輝政と再婚する |
1596 | 32 | 長女・茶々姫を出産する |
1599 | 35 | 長男・池田忠継を出産する |
1602 | 38 | 次男・池田忠雄を出産する |
1604 | 40 | 三男・池田輝澄を出産する |
1605 | 41 | 四男・池田政綱を出産する |
1607 | 43 | 次女・振姫を出産する |
1611 | 47 | 五男・池田輝興を出産する |
1613 | 49 | 池田輝政が亡くなる |
1614 | 50 | 大坂冬の陣 |
1615 | 51 | 享年51 |
督姫の家系図


督姫の母は西郡局
ふう・督姫(演 : 清乃あさ姫)は1565年に徳川家康(演 : 松本潤)の次女として誕生しました。督姫の母は西郡局(演 : 北香那)で、西郡局は今川家の重臣・鵜殿氏の支流の出身でした。今川家の凋落後、西郡局は徳川に属していました。


「どうする家康」では鵜殿長照が
上ノ郷城の城主として活躍していましたね
督姫は北条氏直に嫁ぐ
1582年、本能寺の変の後、天正壬午の乱が勃発しました。この中で、徳川家康と北条氏政(演:駿河太郎)は甲斐(山梨県)、信濃(長野県)、上野(群馬県)の領土を巡り争いました。和睦のための結びつきとして、徳川家康は娘の督姫を北条氏直(演:西山潤)に嫁がせました。督姫は北条氏直との間に摩尼珠院殿と万姫の2女を出産しました。


督姫と北条氏直との間に
北条氏次という男児もいたようです
1590年、豊臣秀吉(演:ムロツヨシ)による小田原征伐で北条家が滅亡した後、北条氏直は高野山に追放されました。1年後、罪が許されたため、督姫は夫のもとへと赴きました。しかし、すぐに亡くなったため、督姫は徳川家に戻りました。


豊臣秀吉は北条家を大名家として
再興させようとしていたようですね
督姫は池田輝政と再婚
督姫は徳川家康のもとで暮らしていましたが、豊臣秀吉の勧めに従い、池田輝政と再婚しました。2人の仲は良好で、彼らの間には5男2女が誕生しました。


池田輝政にとっても中川清秀の娘・糸姫を正室としていたため再婚でした
1609年、督姫は池田忠継、池田忠雄、池田輝澄を連れて駿府(静岡県)へと向かい、徳川家康と会見しました。その際、亡くなった母・西郡局のため、自らが浄土宗に改宗する代わりに、池田輝澄を日蓮宗に改宗させることを提案しました。
1613年、池田輝政が亡くなった後、督姫は池田家の相続問題のために駿府へと向かいました。


池田輝政が姫路52万石の大大名となったのは
督姫のおかげだったといわれています


福島正則は池田輝政に「わしは槍先で国を得た。されど、おぬしは一物の先で国を得たようなものよな。」と嫌味を言っておった
督姫と毒饅頭事件
督姫は徳川家康の次女であったため、江戸幕府内での発言力がありました。その影響力を活かし、池田家の繁栄のために尽力していました。一方で、実子を強くかわいがっていたためか、督姫は池田輝政の前の正室の子、池田利隆を排除し、実子の池田忠継に宗家を継がせることを画策しました。
この計画を進めるため、岡山城で池田利隆との対面の際、毒入りの饅頭を勧めたと言われています。しかし、池田利隆は既に女中からその情報を得ており、饅頭に手を出さなかった。それを知った実子の池田忠継は、兄を守るために自らその饅頭を食べてしまったとされています。この事態を目の当たりにした督姫は、自らの行為を深く後悔し、同じ毒饅頭を食べて命を絶ったと伝えられています。


この毒饅頭による事件は噂だとされています


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