
「大河ドラマ・どうする家康」で登場する北条氏直は
西山潤さんが演じている北条家の五代目ですね

北条氏直はわしの次女・督姫を娶っておるんじゃよ

北条氏直は100年続いた北条を滅ぼしてしまった
暗愚な武将だったのでしょうか?
北条氏直の年表


北条氏直の家系図


北条氏直は武田との同盟から誕生
北条氏直(演 : 西山潤)は1562年、北条氏政(演 : 駿河太郎)の次男として誕生しました。北条氏直が生まれた頃、北条と武田は同盟を結んでいたため、北条氏政は武田信玄(演 : 阿部寛)の娘・黄梅院を娶っていました。そのため、北条氏直の母は黄梅院で、祖父は武田信玄ではないかと言われています。


北条氏直の母については諸説あり
側室の子ではないかとも言われています
北条氏直は今川氏真の養子だった!?
1568年、武田信玄は今川氏との同盟を破棄して、今川領に侵攻を開始しました。北条氏は今川氏との関係を重視していたため、武田氏に反発し、父・北条氏政は黄梅院(武田信玄の娘)と離縁しました。


黄梅院の生涯については諸説があり
武田に戻っていない説もあります
その後、北条氏直は今川氏との関係を強化するため、今川氏真(演:溝端淳平)の養子となり、駿河領有権を得ることを目指しました。しかし、武田信玄が駿河を速やかに支配し、今川氏真の正室・早川殿(演:志田未来)が男児を出産したため、北条氏直と今川氏真との縁組は解消されました。
1580年には、北条氏直が父・北条氏政から家督を受け継ぎ、北条家の5代目当主となりました。ただし、軍事的な統制権や外交権は依然として北条氏政が担当していました。


この頃、北条家は織田信長と同盟関係を結んだようです
北条氏直と徳川家康の関係
本能寺の変で織田信長(演:岡田准一)が急死した後、旧武田領を巡って北条、徳川、上杉などの間で天正壬午の乱が勃発しました。北条氏直は「甲斐(山梨県)は祖父(武田信玄)の旧領国である」として領有を強く望み、徳川と対立しました。
しかし、徳川軍の鳥居元忠(演:音尾琢真)に敗れました。その後、織田信雄(演:浜野謙太)の説得もあり、北条氏と徳川氏は和睦を結びました。この際、北条氏直は上野(群馬県)の領有権を獲得し、徳川家康(演:松本潤)の次女・督姫(演:清乃あさ姫)と結婚しました。以後、北条氏と徳川氏は小田原の戦いまで同盟関係を維持しています。


北条と徳川は小牧長久手の戦いのときには共に戦い
北条は佐竹の抑えとして戦っています
北条氏直は小田原合戦で黒田官兵衛を信頼?
北条氏直は徳川家康と同盟を結んで以来、下野(栃木県)と常陸(茨城県)に侵攻し、関東の大名らを圧倒しました。しかし、豊臣秀吉(演 : ムロツヨシ)が惣無事令を発令し、大名間の戦が禁止されたため、北条氏直は豊臣との決戦に備えて軍備を強化しました。それでも、北条氏直は豊臣の強さを認識しており、叔父の北条氏規を上洛させて豊臣秀吉と交渉させています。


北条氏直は豊臣との戦を避けたかったのかもしれません
しかし、1589年に北条家の家臣・猪俣邦憲が真田昌幸(演:佐藤浩市)の支城・名胡桃城を奪取し、これが惣無事令に反する行為とされ、豊臣との関係が破綻しました。この問題に対して、北条氏直は徳川家康を通じて豊臣秀吉に弁明を試みましたが、失敗しています。
1590年、豊臣秀吉による小田原征伐が始まり、豊臣軍は20万の兵力で小田原城を包囲しました。一方、北条氏直は領内の民間人を含む5万の兵で籠城しました。北条氏直は、武田信玄や上杉謙信も落とせなかった小田原城の堅固さ、そして同盟者である徳川家康や伊達政宗が味方についてくれると期待していましたが、その期待は裏切られました。


この小田原征伐で北条方がいつまで話し合っても結論が出ない様子から
「小田原評定」という言葉が生まれました
その後も北条家は籠城を続けましたが、豊臣秀吉の軍師・黒田官兵衛の説得もあり、最終的には100日にわたる籠城の末に降伏しました。


後日、北条氏直は単身で小田原城に乗り込んだ黒田官兵衛に感心して
名刀・日光一文字を贈ったといいます
北条氏直は北条家を滅ぼしていなかった!?
北条氏直は自らの命を犠牲にして家臣や城兵を救おうと試みました。この行為に豊臣秀吉が感心し、さらに徳川家康の娘婿でもあったことから、北条氏直は助命されて高野山へ追放されました。一方、豊臣秀吉との戦いで強硬派だった父・北条氏政や叔父の北条氏照は切腹させられました。


ここに関東で覇権を握っていた北条家は滅亡したわけですね
高野山で謹慎生活を送っていた北条氏直ですが、徳川家康の取り計らいもあって豊臣秀吉から謹慎が解かれ、大坂に屋敷が与えられました。その後、氏直は豊臣秀吉に謁見し、1万石を与えられて関東での豊臣大名として復活しました。しかし、疱瘡に罹ってしまい、大名に復帰したばかりで亡くなってしまいました。


小田原での北条家は滅亡しましたが
北条氏直は完全に滅亡させたわけではなかったんですね
北条氏直が亡くなった後、北条家は甥の北条氏盛が継ぎ、関ヶ原の戦いで東軍に与した結果、河内狭山藩(大阪府)として1万1千石を得て幕末まで存続しました。


北条家の家系は現在も存続しているようです
北条氏直の家紋
小田原北条家は、初代の北条早雲が鎌倉執権の北条家を見習って築いた大名家です。そのため、小田原北条家の家紋は鎌倉執権北条家のものに似た家紋を使用しています。
また、北条早雲は伊勢氏の出身であり、その影響で「対い蝶」の家紋を使用していました。一方で、鎌倉の北条家は平氏出身であったため、小田原北条家も平氏を自称し、「揚羽蝶」の家紋を使用していました。


北条氏直の子孫
北条氏直は徳川家康の次女・督姫を娶りました。2人の間には2人の女児が生まれたようですが、長女は夭折し、次女も17歳で病気により亡くなりました。


北条氏直の嫡流はすぐに途絶えてしまったんですね、、、