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[大河ドラマ・どうする家康]稲・小松姫(キャスト:鳴海唯)は本多忠勝の娘!甲冑を着て真田昌幸を追い返した!?年表 相関図

ひろ
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大河ドラマ・どうする家康」で登場する稲・小松姫

鳴海唯さんが演じている戦国最強・本多忠勝の娘ですね

徳川家康
徳川家康

稲・小松姫徳川真田の関係を取り持つために

真田信幸に嫁いだんじゃ

ひろ
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小松姫は舅の真田昌幸を甲冑着て追い返したそうです

一体なにがあったんでしょうか?

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稲・小松姫の年表

稲・小松姫の相関図

稲・小松姫は本多忠勝の娘

小松姫(演 : 鳴海唯)は1573年に徳川家康(演 : 松本潤)重臣・本多忠勝(演 : 山田裕貴)の長女として誕生しました。幼名は「稲」または「於子亥おねい」といいます。兄妹には姫路城主となった本多忠政などがいます。

ひろ
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小松姫は戦国最強の武士の娘として誕生したわけですね

稲・小松姫が真田信幸に嫁いだ訳とは

1582年、本能寺の変織田信長(演:岡田准一)が急死した後、武田勝頼(演 : 眞栄田郷敦)の旧領である甲斐(山梨県)信濃(長野県)、および上野(群馬県)を巡って天正壬午の乱が勃発しました。徳川は甲斐と信濃を手中に収め、北条は上野を獲得しました。しかし、真田は上野の沼田地域に対する領有権を主張しました。そのため、徳川は上田城に侵攻して真田を討伐しようと試みましたが、失敗しました。

徳川家康
徳川家康

上田城は真田が徳川の家臣時代に

上杉の抑えとして築かせた城なのに

徳川が落とせないとは無念じゃ、、、

その後、徳川が豊臣秀吉(演:ムロツヨシ)の家臣となったことで、豊臣家の家臣だった真田と和睦しました。真田は徳川の与力となり、その関係をさらに強化するため、小松姫は徳川家康の養女となり、真田昌幸の長男・真田信幸(演:吉村界人)に嫁ぎました。

真田信幸にはすでに清音院という正室がおりましたが、小松姫が嫁いで正室となったため、清音院は側室に格下げされました。

ひろ
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小松姫が嫁いだことで

清音院の存在が真田家内で薄れていったようです

稲・小松姫は本多忠勝に似た勝ち気な性格!

ひろ
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小松姫は本多忠勝の娘だったためか、徳川家康や徳川秀忠に対してもハキハキと意見するほどの女性だったとか

そんな小松姫には次のようなエピソードが残っています

小松姫はかぐや姫!?

徳川家康が関東に移封された際、父・本多忠勝は上総(千葉県)の大多喜城の城主となりました。小松姫はこの地で、武辺者が多い本多家の娘に相応しく剣術の稽古をしていたと言われています。

ある日、城下町で大きなイノシシが村人を襲おうとしているところに遭遇しました。そこで、小松姫は持っていた刀を振りかざしてイノシシを撃退しました。この時、イノシシを追い込んだ竹やぶの中で小松姫に日の光が差し込み、その姿が輝いて見えたと言われています。このことから、民衆は小松姫のことを「かぐや姫」というそうです。

ひろ
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徳川家康が関東に移封されたときには

すでに小松姫は真田に嫁いでいた説が濃厚なので

作り話かも知れませんね、、、

小松姫と真田信幸の出会い

小松姫と夫・真田信之の出会いにはこんなエピソードがありました。

徳川家康は、小松姫の婚約者を決定するために、若い衆を一堂に呼び寄せ、小松姫自身に選んでもらおうとしました。。小松姫は選ぶ相手を吟味しようとしたが、どの男も徳川家康や本多忠勝の娘であることに気圧され、顔を上げることができませんでした。

そこで、小松姫は男たちの髷を掴んで無理やり顔をあげて一人一人見回りました。そして、次の男の髷をつかもうとした瞬間、その男が小松姫の頬を扇子で叩いたといいます。その男が真田信之でした。小松姫は皆が萎縮する中、1人だけ気概を示した真田信之に心を奪われ、嫁ぐことを決めたと言われています。

ひろ
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小松姫が武芸に秀でるや勝ち気な性格といったことから

後世に創作された逸話とされることが多いようです

小松姫は甲冑を着て真田信幸を追い返した!?

小松姫真田信幸は政略結婚で縁を結びましたが、夫婦仲は非常に良く、4人の子どもに恵まれました。しかし、豊臣秀吉の死後、天下分け目の関ヶ原の戦いが勃発しました。

小松姫は徳川の重臣・本多忠勝の娘であったため、真田一族が徳川に従うべきだと提案しました。一方、舅の真田昌幸(演 : 佐藤浩市)はどちらの軍が勝利しても真田一族が生き残れるように、次男の真田信繁(演 : 日向亘)と共に西軍に加わり、長男の真田信幸には徳川家と関係が深い東軍に仕えるようにと指示しました。これは「犬伏の別れ」と呼ばれ、真田親子は東軍と西軍に分かれました。

ひろ
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親子3人で行われた密議は信之と幸村の間で

刀に手をかけるほどの激論だったとか

この「犬伏の別れ」の後、真田昌幸が居城である上田城に戻る前に、小松姫が城代を務めていた沼田城に立ち寄りました。真田昌幸は最後に孫の顔を見たいと願いましたが、小松姫は「たとえ舅であっても、現状は敵味方の関係です。敵を城内に招くわけにはいきません」と甲冑を身に纏い、きっぱりと拒否しました。この毅然とした態度に、さすがの真田昌幸も驚き、退散したとされています

ひろ
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これには後日談があって

密かに城外で昌幸は孫との対面を果たしたとか

小松姫は真田昌幸と真田信繁の助命を嘆願

真田昌幸真田信繁は、関ヶ原の戦いで味方した西軍が敗れたため、処刑の危機に瀕しました。しかし、夫である真田信幸父・本多忠勝の助命嘆願により、二人は九度山へ軟禁されることとなりました。小松姫は、この二人の困難な状況に対し、金や食料の援助を欠かさなかったとされています。

大坂の陣の後、小松姫の体調が次第に衰え、床につくことが多くなりました。その後、湯治のために草津に向かう途中で亡くなりました。真田信幸は、小松姫の死に深く傷つき、その後は誰とも再婚することはありませんでした。そして、93歳まで生きて信濃松代藩(長野県)を守り抜きました。

ひろ
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小松姫は内助に優れた女性でもあるね

織田信長
織田信長

真田信之は長寿武将じゃな