
「大河ドラマ・どうする家康」で登場する朝日姫は
山田真歩さんが演じている豊臣秀吉の実の妹ですね

戦国乱世に翻弄された女性の1人じゃな
わし45歳のときに継室になったんじゃよ

前夫と強制的に離縁させられ戦国乱世に翻弄された
朝日姫の生涯とは一体どのようなものだったのでしょうか?
朝日姫・旭姫の年表




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朝日姫・旭姫の相関図


朝日姫の誕生
朝日姫(演:山田真歩)は1543年、竹阿弥と仲・大政所(演:高畑淳子)の娘として生まれました。豊臣秀吉(演:ムロツヨシ)の妹でありながら、父が異なるとされ、豊臣秀長(演:佐藤隆太)とは同父であると言われています。


豊臣秀吉は1537年の生まれなので、6歳ですね
朝日姫は尾張(愛知県)の農民であった佐治日向守に嫁ぎました。この夫は兄・豊臣秀吉の出世とともに武士として取り立てられました。2人の間には子はなかったと言われています。


最初の夫は副田甚兵衛吉成だとも言われています
朝日姫と徳川家康
兄・豊臣秀吉は織田信長(演:岡田准一)のもとで出世を果たし、天下人となる野望を抱いていました。その途中で、織田信長との古くからの同盟者である徳川家康(演:松本潤)との間で小牧長久手の戦いが勃発しました。小牧長久手の戦いにより、徳川軍は局地的な勝利を収めたものの、豊臣秀吉が総大将・織田信雄(演:浜野謙太)を取り込んだことで、豊臣方が有利な立場に立ちました。豊臣秀吉は人質として徳川家康の次男・結城秀康を送らせていたが、徳川家康に臣従させるつもりでした。


豊臣秀吉が有利な状況ではありましたが
徳川家康の力はまだまだ強大でした
そこで、豊臣秀吉は妹の朝日姫を利用しました。朝日姫は既に結婚していましたが、豊臣秀吉は無理やり離縁させ、徳川家康の継室として差し出しました。徳川家康は正室・築山殿(演:有村架純)が亡くなって以来、正室を取らないようにしていました。しかし、1586年、豊臣秀吉は徳川家康に従属させるため、朝日姫を送り込んだと言われています。


朝日姫の前の夫は500石(1億円程)与えられたといいますが
面目を失って自害したと言われています


わしは45歳で、朝日姫は44歳のときじゃ
朝日姫の最後
朝日姫が嫁いでもなお、徳川家康が上洛しなかったため、豊臣秀吉は母・大政所を人質として送り込む決断をしました。その結果、徳川家康と豊臣秀吉との間で和議が成立し、徳川家康は豊臣秀吉の家臣となりました。


徳川家臣・本多重次は上洛中に徳川家康に万が一のことがあったときは
すぐに朝日姫と大政所を処刑できるように
2人の屋敷の周りに薪を積み上げていたそうです
1588年、朝日姫は母の見舞いのために上洛しましたが、翌1589年に自身が病を患いました。そして、1590年、徳川家康が小田原征伐に出陣中に、朝日姫が亡くなってしまいました。


朝日姫は徳川と豊臣の間を取り持つという役目を果たしたことで亡くなってしまったようにも見えますね、、、


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まとめ
朝日姫は兄・豊臣秀吉の政治戦略に利用され、夫と離縁させられて徳川家康に嫁いだ女性です。徳川家康は築山殿を亡くして以来、正室を取らないようにしていましたが、朝日姫との仲は良好だったようです。そのため、徳川家康は豊臣秀吉が亡くなった後も朝日姫の冥福を祈ったとされています。


徳川家康との結婚生活は2年程でした


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