
戦国時代にはたくさんの英雄が生まれたよなー

歴史上では表だって目立たないが
合戦で活躍した武将はたくさんいるんじゃ

今回は戦国最強といわれた武将を見ていこう!
強さから京都でも話題になった!?
武田信玄と何度も激戦を繰り広げた上杉謙信。初陣を15歳で飾ると、生涯70回も合戦に参戦しましたが、敗北したのはわずか2回だけでした。その強さに京都の人が噂するほどだったといいます。
ちなみに、時代の風雲児と言われた織田信長は59戦中19敗で、天下統一を成し遂げた徳川家康は51戦中13敗も負けています。


これほどまで強かったにも関わらず天下を取れなかったのは、謙信が天下には興味がなかった点にあります。
謙信は非常に「義」を重んじており、自分のためではなく弱いものを助けるために何度も戦いました。そのため、越後(新潟県)から関東に向けて17回も出兵しましたが、その間一度も領土は増えていません。


謙信は織田家臣柴田勝家と合戦しているけど、
そのとき「織田軍は思ったより大したことがなかった」といったらしいよ


天下人も認めた戦国最強!!
幼い頃から徳川家康に仕えた猛将本多忠勝。生涯57回もの合戦に参戦しましたが、一度も傷を負わなかったといわれています。
忠勝の武勇を語る話は次の話が有名です。
姉川の戦いでは朝倉軍1万もの大軍に、単騎で突撃して突破口を開き、織田徳川軍を逆転勝利に導きました。これには織田信長も「花も実もある武将」と誉め称えています。


忠勝の活躍がなければ織田徳川軍は敗れていたかもしれんな
徳川家康が武田信玄に大敗を喫した三方ヶ原の戦いの撤退戦では、無事に家康本隊の撤退に成功させています。この撤退戦での見事さに、武田家の家臣は
「家康に過ぎたるものがふたつあり、唐の頭に本多平八(忠勝)」
と評しました。


「唐の頭」は滅多に手に入らない貴重品
それと同じくらい忠勝は貴重な人材ということじゃな
さらに小牧長久手の戦いでは、徳川家康から城の留守を預かっていましたが、家康が苦戦を強いられていることを知ると、わずか300騎で出陣。豊臣秀吉の数万もの大軍と対峙します。
すると突然、川で馬に水を飲ませました。これを見た豊臣方の家臣は激怒し、「すぐに進軍しよう」と秀吉に進言。
しかし、秀吉は忠勝の武勇を知っていたため、手を出してはならないと家臣を引き留めたといいます。


合戦では傷を負わなかった忠勝だけど、
晩年、小刀で名前を彫っていたらかすり傷を負ったというよ


その切れ味は人間無骨!?
森蘭丸の兄で、織田家の家臣森長可。
長可は「人間無骨」という切れ味抜群の槍を携えていました。その切れ味は敵だけでなく、味方をも戦慄させたといいます。ある時槍に首を刺したまま歩いていると、槍が首を貫通してしまったといいます。
長島一向一揆では、人間無骨を携えて27もの首級を挙げたといいます。長可のあまりの強さに「鬼武蔵」と恐れられていました。


長可は合戦で活躍したが、
茶人としても有名だったんじゃ
さらに武田家の支城であった高遠城を攻め込んだとき、長可は城の屋根に飛び乗って屋根瓦を引き剥がし、そこから鉄砲で一斉に射撃したといいます。そして、本丸へ単身で乗り込んで、次々に敵兵をなぎ倒しました。この長可の働きにより、織田軍はわずか半日で高遠城を落とすことに成功。
合戦後本陣に戻ったときには、長可は返り血をたくさん浴びて鎧が真っ赤に染まっていたといいます。
猛将でしたが、小牧長久手の戦いで徳川軍に討ちとられてしまいました。そのとき、家康は「鬼武蔵の首は1000の敵を討ち取ったに等しい」といいました。


家康は長可の首を討ちとれたことが相当嬉しかったんやろなー


(可成寺所蔵)