瀬戸内海に存在した伝説の女武将・鶴姫!
小説やゲームでは度々登場する人物やなー
本名を大祝鶴姫という女子のことじゃな
今回は地元の人も知らないほど
謎に包まれた女武将・鶴姫に迫っていこう!
鶴姫の相関図
鶴姫の生まれた大祝家は
伊予(愛媛県)の河野家や瀬戸内海の村上水軍と仲がよかったみたいやなー
対する大内義隆は六ヵ国を統治する大名じゃ
鶴姫の誕生
大祝鶴姫は1526年、瀬戸内海の大三島に生まれました。父・大祝安用は大山祇神社の大宮司であり、戦国武将ではありません。
ところが、戦国時代では神社もいつ攻め込まれるかわからないため、鶴姫の兄は大三島の水軍大将となっています。
京都から離れた瀬戸内海でも戦国乱世の風は吹き荒れていたようやなー
女武将の誕生!
鶴姫は大柄でさまざまな書物を読みこなす、利発な少女でした。そのため、父は鶴姫に武術の修行を進め、剣術を学ばせます。
次第に兄達の武術の鍛錬にも参加するようになったみたい
鶴姫が8歳の時、父が亡くなり長兄・安舎が宮司、次兄・安房が水軍大将に就任。すると中国地方の覇者・大内義隆が瀬戸内海の島々に侵攻しはじめます。はじめこそ大内軍を撃破していましたが、大軍で大内家が攻め込んできたときには次兄・安房は亡くなってしまいました。
大内家は「西の京」といわれるほど大きな城下町を築いた大名なんじゃ
瀬戸内の小さな大名ではひとたまりもないじゃろな
大内義隆は追い討ちをかけるべく、再び大軍を大三島に送り込みます。これに対して、水軍大将として鶴姫が任命されました。というのも、しきたりとして宮司となった長兄・安舎は武将になれなかったためです。
鶴姫は大薙刀を振るって敵大将を討ち取る活躍をみせ、大内軍の撃退に成功しています。
鶴姫は「われは三島明神の鶴姫なり、立ち騒ぐ者あれば摩切りにせん」と
啖呵をきって突撃していったというよ
二度も合戦に敗れた大内家は猛将・陶晴賢を送り込みます。鶴姫はまたも大将として出陣。このとき、幼馴染の越智安成と力を合わせて奮闘しますが、敵の大艦隊に苦しめられ安成は戦死。鶴姫はなんとか大三島を守り抜きましたが、安成をなくしたことをひどく悲しみ、その夜入水自殺して亡くなったといいます。
鶴姫は真夜中一人で船を漕いで出ていったみたい
この戦い以降、大内義隆は大三島に攻め込まなくなったんじゃ
本当に鶴姫は存在したのか?
鶴姫の存在が怪しまれている理由を説明するよ!
地元の人も知らない!?
鶴姫の名が広まったのは大祝家の末裔である三島安精が1966年に「海と女と鎧 瀬戸内のジャンヌダルク」という小説を刊行したためです。それ以前は大三島の島民にすら知られていなかったといいます。
現在では、ふるさと創生のために鶴姫と恋人・越智安成の銅像が建てられているよ
そもそも鶴姫は存在しない!?
鶴姫の生まれた大山祇神社の宮司を代々務めた大祝家(現・三島家)に伝来する「三島家文書」には、この合戦に関する記述はあります。しかし、女性が水軍を率いたという箇所がありません。さらに、鶴姫を有名にした小説家・三島安精が参考にした「大祝家記」は現在行方不明となっています。
大山祇神社の宮司でさえも存在に確固たる証拠がないといってるみたい
女性用の鎧!?
鶴姫が着用したという甲冑が現存しています。それはウェストの部分が細くくびれており、胸部が大きくなった女性用の甲冑です。
ところが、室町時代末期になると山城での攻防戦が増加しました。そのため呼吸を楽にするため、胸の周りが膨らんでいるものが作られたと指摘されています。
これが本当に女性用の甲冑となれば
日本に現存する唯一の女性用の鎧やな