どうする家康を見逃した方はこちら

[ペット大好き武将!!]犬に馬に猿に猫、、、動物大好き武将5選!!

ランキング
ひろ
ひろ

現代では犬や猫を飼っている人が多いけど

戦国時代にもペットを飼っている武将がいたみたいだね

徳川家康
徳川家康

犬は1万年以上前から

猫は5千年ほど前から飼育されていたんじゃ

ひろ
ひろ

それなら戦国時代でもペットを飼うことはメジャーなのか

今回はペットを大事にした戦国武将を5人紹介していきます!!

スポンサーリンク

犬好きなお殿様

太田資正おおたすけまさは関東随一の戦国大名・太田道灌おおたどうかんのひ孫。主君の扇谷上杉おうぎがやつうえすぎが北条によって滅ぼされたことから、生涯を北条家の討伐に捧げた武将である。

また、太田資正は大の犬好きと知られ、居城の岩付城には50匹、支城の松山城にも50匹のあわせて100匹近くの犬を飼っていた。

ひろ
ひろ

犬大好き武将の太田資正にはこんな逸話が

資正が何匹も犬を飼っているのをみて、周りの者は「子どものように犬に好かれるうつけもの」と嘲笑していた。しかし、太田資正はそんなことはお構いなし。居城・岩付城と支城・松山城の犬を入れ替えて、いざというときに伝書鳩ならぬ伝書犬」として行き来できるように訓練していた。

徳川家康
徳川家康

だいたい30 kmの道のりじゃ

ある時、北条氏康によって松山城が包囲された。資正は岩付城に居て留守だったが、松山城にいたものが犬の首に書状を結びつけて岩付城に向かうように指示した。書状を携えた犬たちは北条の目をかいくぐって、岩付城の資正のもとへ到着。そして、資正はただちに援軍を送ることができた。

ひろ
ひろ

太田資正は日本で初めて軍用犬を使った大名!

寡黙な上杉景勝さえも笑わした猿

上杉景勝上杉謙信の跡取りとして恥じないように、家臣の前では無口無表情の寡黙な人であった。また、小柄にも関わらず威厳に溢れており、家臣たちも景勝を恐れて彼の前では無駄口を叩けなかったという。

ひろ
ひろ

そんな寡黙な景勝が一生のうちに一度だけ笑ったのがこちら

ある時飼っていた猿が景勝の近くにあった頭巾を持って木に登った。そして、猿は枝に腰掛けて頭巾をかぶり手を揃えて座敷の景勝にお辞儀した。これをみて景勝は思わず笑ったという。

徳川家康
徳川家康

上杉景勝は前田慶次も恐れるほどの威厳を放つ人物じゃ

猿で遊びすぎて、、、

大友宗麟フランシスコザビエルとも謁見したことがあるキリシタン大名南蛮貿易により海外から鷹、くじゃく、虎や象など輸入して飼っていた。

ひろ
ひろ

大友宗麟とそのペットにはこんな逸話があるよ

ある日、宗麟のかわいがっていた鷹がどこかへ飛んでいってしまい、隣国の島津領の久保山治郎という男がそれを見つけた。久保山は宗麟の鷹とは知らず、これを捕まえて主君の島津義久に献上した。しかし、この噂を聞いた宗麟は激怒。手下を送り込んで久保山を拉致した

島津義久はこの話を知ると、宗麟に使者を送り込み「知らなかったことなので許してやってくれ」と弁明した。しかし、宗麟は使者の話には一歳耳を傾けず、久保山の首をはねてしまった

徳川家康
徳川家康

一連の騒動で大友家の士気は一気に落ち込んだんじゃ

また、宗麟は凶暴な猿を飼っており家臣に飛びかからせては、家臣が慌てふためく様子をみて待女と共に笑って楽しんでいた。家臣も宗麟の猿なので困り果てていた。

この猿がいつものように立花道雪にも飛びついた。猿が道雪の頭に飛びついたその時、猿は道雪の持っていた鉄扇で頭を打ち砕かれて呆気なく亡くなった。宗麟は想定外のことに驚き、道雪は怒りながらこう言った。「人を弄べば徳を失い、物を弄べば志を失う」と。

ひろ
ひろ

道雪はたびたび宗麟を諌めていたというよね

豊臣秀吉の愛猫が、、、

天下を取った派手好きの豊臣秀吉は猿や猫を飼っていた。いたずら好きな秀吉は廊下に猿を繋いでおいて、キバを剥いてかかろうとするところに驚く大名たちをみるのを楽しんでいた。

伊達政宗はこれを知ると、この猿の世話人を買収して猿を連れ出した。そして、猿が正宗を見てもキバを向かなくなるまでしつけた。

その後、秀吉はいつものように猿を仕掛けて政宗に襲い掛かるかを期待して観察していた。ところが、猿は政宗の姿をみては怯えるばかりだった。全てを察した秀吉は「またしても政宗にしてやられた!」と面白がったという。

ひろ
ひろ

大友宗麟と同じようないたずら、、、

戦国武将の間で流行っていたのかな

徳川家康
徳川家康

猿(豊臣秀吉)が猿を飼っていたんじゃ

おもしろいのー

またある時、秀吉の愛猫が大坂城で行方不明となった。秀吉は家臣の浅野長政に猫を捜索するように命じたが、一向に猫は見つからなかった。

そこで、長政は美しい猫を飼っている野々口五兵衛に「虎毛の猫を借りたい」と頼み込んだ。そして、その猫は秀吉のもとへ送られて一件落着したという

ひろ
ひろ

浅野長政もこのときばかりは慌てふためいただろうな

馬に助けらた武将

戦国武将にとって最も身近な動物といえば馬だろう。合戦の際には馬を必ず連れて歩き、ある時には主君へ献上することもある。そんな馬に命を救われた武将がいた。

それが明智光秀の重臣で従兄弟でもあった明智秀満

本能寺の変後、秀満は安土城を攻めていたが、光秀の死を知ると坂本城に引き返そうとした。ところが、あたりは豊臣軍に包囲されていた。そこで、秀満は馬にまたがって琵琶湖に入り、浮いたり沈んだりしながら泳ぎきって城への帰還を果たしたという。

ひろ
ひろ

この逸話から秀満は「明智左馬助」と呼ばれたのか

明智秀満。大津の町と湖水の間の道を
騎馬で走り抜けたのが真相らしい。
(新撰太閤記)

まとめ

戦国武将も現代人と同じようにペットを飼って癒やされていたようです。そう考えると、同じ人間なんだなと親近感がわいてきませんか?

ひろ
ひろ

400年たっても人間の根本は変わらないね

コメント

タイトルとURLをコピーしました