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[大河ドラマ・どうする家康]茶々・淀殿(キャスト:北川景子、白鳥玉季)は悪女なのか?豊臣秀吉に嫁いだ理由は?最後は?まさかの北川景子再登場!!

ひろ
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大河ドラマ・どうする家康」で登場する茶々・淀殿

白鳥玉季さん、北川景子さんが演じている豊臣秀吉側室ですね

徳川家康
徳川家康

茶々・淀殿豊臣秀吉に嫁いで豊臣秀頼を出産したことで

わしの最後の敵となったわけじゃ

ひろ
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しかし、茶々・淀殿が父と母の仇である豊臣秀吉に嫁いだのどうしてでしょうか?

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茶々・淀殿の年表

茶々・淀殿の家系図

茶々・淀殿の名前は?

ひろ
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豊臣秀頼の生母は様々な呼び名で呼ばれていますね

茶々」や「淀殿」などが有名ですが、どれが本名なんでしょうか?

茶々」はいみな(本名)です。女性の諱(本名)は親や夫以外には知られることが少ないため、「」という通称が用いられました。そこから、「淀の方」や「淀の方様」、「淀の女房」という通称が派生しました。

ひろ
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通称の名前の由来となった「」は

豊臣秀吉からもらった居城・淀城が由来ですね

さらに、二の丸殿」、「西の丸殿」とも通称され、鶴松や豊臣秀頼の出産後には「御袋様」、「御上様」、「御台様」とも呼ばれました。豊臣秀吉の死後は「大広院」、「大康院」と名乗って出家したとも言われています。

よく知られる「淀殿」や「淀君」という名前は、実は江戸時代から使われ始め、当時はまだ一般には使われていなかったようです。このブログでは、よく知られている茶々と淀殿の名前を使用します。

ひろ
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「淀殿」や「淀君」は変な名前で

江戸時代に徳川の敵であった豊臣のボスということで「悪女」として描かれたようです

茶々・淀殿は浅井長政の娘

茶々・淀殿(演 : 白鳥玉季)は1569年に、浅井長政(演 : 大貫勇輔)お市(演 : 北川景子)の長女として誕生しました。茶々が生まれた頃、父・浅井長政は織田信長(演 : 岡田准一)を裏切り金ヶ崎で織田軍を追い詰めていた時でした

また、浅井長政とお市の仲が睦まじかったためか、茶々には2人の妹がおり、次女が初(常高院)、三女が江(崇源院)です。

ひろ
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兄に万福丸がいたと言われていますが

詳細は不明です

茶々・淀殿の仇は豊臣秀吉

父・浅井長政居城・小谷城は、1573年に、つまり茶々が5歳の頃に陥落しました。この合戦は織田信長の命令に基づいて豊臣秀吉によって行われました。その結果、茶々とその妹たち、そして母・お市は、織田信長の弟・織田信包または織田信次によって保護されました。この期間中、お市と三姉妹がどこで暮らしていたのかは不明ですが、織田家の領内である伊勢(三重県)美濃(岐阜県)で過ごしていた可能性が高いです。

ひろ
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父・浅井長政が敗れて1度目の落城ですね

1582年に本能寺の変が発生し、叔父・織田信長が急死した後、豊臣秀吉(演:ムロツヨシ)が台頭します。この時、母・お市は織田家の重臣・柴田勝家(演:吉原光夫)と結婚し、豊臣秀吉に対抗する姿勢を明らかにしました。しかし、豊臣秀吉の力が強大であり、父・柴田勝家は賤ヶ岳の戦いで敗れ、母・お市ともに北ノ庄城で自害しました。この時、茶々と妹たちは豊臣秀吉のもとに身柄を移され、その後は叔父・織田信雄(演:浜野謙太)によって保護されました。

ひろ
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またも父と母が豊臣秀吉に敗れてしまい

人生2度目の落城、、、

茶々・淀殿が豊臣秀吉の側室になった訳とは?

1587年、茶々の妹・初は浅井家の旧主君、京極家の当主・京極高次に嫁ぎました。また、もう一人の妹・江も織田信雄の家臣・佐治一成に嫁いでいます。一方で、20歳前後になった茶々自身は、父と母の仇である豊臣秀吉の側室となりました。この年齢は当時の婚期としてはやや遅い方で、なぜ彼女が豊臣秀吉の側室となったのか、その理由は定かではありません。

ひろ
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豊臣秀吉が自らの血筋の悪さをよく見せようとしたからでしょうか?

徳川家康
徳川家康

茶々の婚期が遅いのも疑問じゃな

茶々が豊臣秀吉の側室となった後、1589年には鶴松(すてを出産しました。これが待望の第一子であったため、豊臣秀吉は大喜びして、茶々に山城(京都府)の淀城を与えました。残念ながら、鶴松は2歳で夭折しましたが、1593年には豊臣秀頼(ひろいを出産しています。茶々が子を産んだことにより、豊臣秀吉から大変寵愛され、豊臣家内での発言力が強まりました

ひろ
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このとき、茶々が子を産まなかったら

豊臣家がどのようになっていたんでしょう

茶々・淀殿の最後

1598年、豊臣秀吉が亡くなった後、正室の寧々・北政所(演:和久井映見)は出家して高台院と名乗りました。一方、茶々は出家せずに、豊臣秀頼(演:作間龍斗)の生母としてその発言力を強化しました。

徳川家康(演:松本潤)が台頭し始めると、石田三成(演:中村七之助)との間で関ヶ原の戦いが勃発しました。石田三成は豊臣秀頼と茶々に対して、豊臣家の公認を得る書状の発給を求めましたが、茶々は静観の姿勢を崩さず、石田三成も徳川家康も支持しない中立の立場を維持しました。そのため、関ヶ原の戦いが終結した後、徳川家康と大坂城での謁見で、豊臣秀頼と茶々は関ヶ原での責任がないと認められました。

ひろ
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茶々関ヶ原の戦いには関与したくなかったようですね

1603年には徳川家康が江戸幕府を開き、1605年に豊臣秀頼に対して臣従するよう命じました。さらに、茶々には江戸に人質として住むよう命じられましたが、これに強く反発し、豊臣家と徳川家との間で対立が一層深まりました

ひろ
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徳川家康は北政所や六男の松平忠輝

遣いに出して融和に務めていました

豊臣秀頼徳川家康の斡旋により、朝廷との関係を強化し、二条城で謁見も果たしました。しかし、方広寺鐘銘事件をきっかけに、豊臣家徳川家の対立が明らかになり、大坂冬の陣が勃発しました。この戦いで豊臣方は不利な状況に追い込まれましたが、豊臣秀吉が遺した大坂城の堅固な防御機能と、真田幸村毛利勝永といった名将たちの支持を受け、徳川方と和睦を結びました。

ひろ
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毛利勝永は真田幸村よりも