徳川家康は長生きで有名ですけど
なにが原因で亡くなってしまったですか
わしは薬草を飲んで鷹狩りをして健康に暮らしておったんじゃが
アレには勝てんかったの
徳川家康の死因やその最後に迫っていきましょう
徳川家康は天ぷらの食べ過ぎで亡くなった?
徳川家康(演:松本潤)は長生きを目指し、生涯を通じて健康に留意しながら生活していました。また、徳川家康は新奇なものに興味を持つ一面もあり、花火や眼鏡、鉛筆などを日本で初めて試したとされる人物です。
徳川家康が愛用した眼鏡は現存しているようで
久能山東照宮に保管されているようです
家康は、伝来したばかりの天ぷらを、豪商の茶屋四郎次郎(演:中村勘九郎)から取り寄せ、非常に好んでいました。特に、天ぷらの美味しさに感銘を受け、頻繁に食べるようになったと伝えられています。中でも鯛の天ぷらを好んだとされています。
天ぷらはポルトガルから伝来しました
しかし、当時使用されていた油の質が現在の基準に比べて劣っていた可能性があり、徳川家康は天ぷらを過剰に摂取した結果、健康を害し、その1ヶ月後に亡くなったと言われています。
現在では食用に使わないような油で
当時は揚げていたようです、、、
徳川家康は胃がんで亡くなった?
徳川家康が天ぷらを食べてから1ヶ月以上経過していることから、食中毒による死ではなく、胃がんによる死亡の可能性が指摘されています。徳川家康は食欲不振、胸のつかえ、腹部のしこりなどの症状に悩まされており、これらは胃がんの兆候とされています。
腹のしこりは手で触って
すぐに分かるほど大きかったようです、、、
しかし、徳川家康は健康オタクすぎたため、医者の意見を聞かずに寄生虫によるものだと言い張って、治療を拒みました。そのため、胃がんと診断した医師が左遷されたとの逸話も伝えられています。
徳川家康の毒殺説が囁かれていますが、史実にはなく
徳川の天下が決まった状態で毒殺するのもよくわからないため
俗説だと思います
徳川家康の最後の言葉
先に行く あとに残るも 同じこと 連れてゆけぬを わかれぞと思う
これは徳川家康の辞世の句。現代語訳すると、「誰も道ずれにしようとは思わない。だれも後追いして、私のあとについてこようとしてはならない」という意味です。戦国時代には主君の死に伴って、家臣もそれに続いて殉死することが美徳とされていました。ところが、徳川家康はそれを禁止しました。
どうして家康は殉死を禁止したんだろう?
殉死は有能な家臣を無駄に失う行為でした。しかし、忠義や忠誠心が重んじられていた当時、家来の忠誠心は評価されて、相続人には褒美が与えられていました。そのため、褒美目当てに殉死するものもいたといいます。
ところが、徳川家康は自分の後継者である徳川秀忠(演 : 森崎ウィン)に仕えるべき有能な家臣の無駄死にを防ごうとしました。また、徳川家康は戦死した人たちに対する供養も欠かさない、心優しい人物だったといいます。晩年は戦死した兵士のために南無阿弥陀仏を写経し続けていました。
徳川家康は家臣想いの優しい武将なんですね
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