
「大河ドラマ・どうする家康」で登場する千姫は
原菜乃華さんが演じている徳川家康の孫娘ですね

徳川と豊臣の架け橋のために
豊臣秀頼のもとに嫁いだんじゃ

千姫は若くして豊臣に嫁ぎましたが
大坂の陣後はなにをしていたのでしょうか?
千姫の年表
年表 | 年齢 | 出来事 |
---|---|---|
1597 | 1 | 徳川秀忠と江の長女として生まれる |
1598 | 2 | 豊臣秀吉の遺言により豊臣秀頼と結婚することが決まる |
1603 | 7 | 豊臣秀頼と結婚する |
1615 | 19 | 大坂夏の陣で大坂城から脱出する |
1616 | 20 | 本多忠刻と再婚する |
1617 | 21 | 姫路城に入城する |
1618 | 22 | 長女・勝姫を出産する |
1619 | 23 | 長男・幸千代を出産する |
1626 | 30 | 出家して天樹院と号する |
1643 | 47 | 鎌倉の東慶寺の再建する |
1666 | 70 | 江戸で亡くなる |
千姫の相関図




徳川家光は千姫が体調を崩す度に見舞いに来ていたようです
千姫は7歳で豊臣秀頼の妻に
千姫(演:原菜乃華)は1597年に徳川秀忠(演:森崎ウィン)と江(演:マイコ)の長女として生まれました。1598年に、豊臣秀吉(演:ムロツヨシ)の遺言によって、千姫と豊臣秀頼(演:作間龍斗)の結婚が命じられました。そのため、千姫はわずか7歳のときに豊臣秀頼の妻となり、大坂城に入りました。


戦国時代は結婚が決まるのが早いですね
母・江も11歳で佐治一成に嫁いでいますね
千姫は大坂城から脱出
千姫は豊臣秀頼と仲睦まじかったとされ、側室の子も可愛がっていたと言われています。大坂の陣では豊臣秀頼と共に大坂城で籠城していました。しかし、豊臣重臣・大野治長(演:玉山鉄二)が徳川方との交渉のために千姫を利用しました。千姫は大坂城から脱出後、徳川家康(演:松本潤)と徳川秀忠に助命嘆願の交渉にあたりました。徳川家康は千姫からの嘆願に耳を傾けましたが、徳川秀忠は千姫の助命嘆願を無視しました。結果として、大坂城の豊臣秀頼と茶々(演:北川景子)は自害して亡くなりました。


千姫は他の側室に対しても嫉妬せず
気の優しい性格だったようです
千姫は本多忠刻と結婚して姫路城に
1616年、千姫は徳川四天王の一人である本多忠勝(演:山田裕貴)の孫・本多忠刻と結婚しました。この時、津和野藩主(島根県)の坂崎直盛が輿入れ行列を狙い、千姫を強奪しようとする事件が発生しました。これは、坂崎直盛が千姫の大坂城脱出を手助けした功績により、徳川家康から千姫を妻に与えるとの約束を勘違いしていたためでした。この事件は坂崎直盛が殺害され、事なきを得る結果となりました。千姫は無事に本多忠刻のもとに輿入れしました。


このとき、千姫は10万石も持っていたようです
千姫は豊臣秀頼に呪われた!?
千姫は本多忠刻とともに姫路城に移り、1618年に勝姫、1619年に幸千代を出産しました。しかし、幸千代はわずか3歳で亡くなってしまったため、亡き夫・豊臣秀頼が千姫を呪っているのではないかと囁かれていました。


大坂の陣から6年経っていますが
未だに豊臣の名残りはあったのかな?
また、1626年には夫・本多忠刻、姑・熊姫(松平信康の娘)、母・江が相次いで亡くなる不幸に見舞われました。そのため、千姫は出家して、天樹院と名乗りました。


熊姫は徳川家康の長男・松平信康と織田信長の娘・五徳との間に生まれた子ですね
熊姫は本多忠政に嫁いでいました
千姫の最後は?
父・徳川秀忠の死後、徳川家光の時代が始まると、千姫は大奥において大きな影響力を持つようになりました。この状況は徳川家綱の時代にも続きました。また、越前松平からの依頼を受け、幕府に対して度々介入を行いました。そして1666年に、70歳で江戸で亡くなりました。


千姫は落城や夫・本多忠刻の死など
人生の節目に思慮深い選択をしたため
徳川家康、秀忠、家光、家綱と歴代の将軍から一目を置かれていたようです


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