戦国時代には全国各地に女城主が存在しました
今回は女城主として知られる織田信長の叔母・おつやの方を紹介!
おつやの方は織田家の者だったんじゃが
信長殿に残酷な処刑をされてしまったんじゃ
どうして親戚なのに残酷な処刑をされたんだろう?
今回は女城主・おつやの方をみてましょう!
おつやの方の相関図
信長殿は自身の妹を遠山家に嫁がせて
その子・龍正院を武田勝頼の正室とさせ
織田と武田の関係を模索していた頃の話じゃ
おつやの方は織田信長の叔母
おつやの方は織田信秀の妹で、織田信長の叔母にあたる女性。名前は「お直」とも言われている。信長の叔母とはいえ、信長よりも年下で、大変美しい姫だったという。
1度目の政略結婚で嫁ぐも夫が戦死。2人目の夫とも死別している。3度目の政略結婚で嫁いだのが、岩村城主の遠山景任であった。遠山氏は鎌倉時代から続く豪族であり、岩村城は織田、武田、徳川の境界にあたる重要な拠点であった。そのため、織田、武田の両方と仲良くしていた。
織田と武田の境界は大変だな
女城主「おつやの方」が誕生
夫・遠山景任が合戦の傷で亡くなってしまう。2人の間には子がいなかったため、信長は5男・御坊丸をおつやの方の養子として送りこみ、岩村城を乗っ取った。とはいえ、御坊丸は6歳であったため、おつやの方が女城主として采配を振るうことになった。
男児がいないから女城主が誕生!
織田の宿敵・武田信玄が上洛に動き始めた。信玄は家臣の秋山虎繁に岩村城を侵攻させた。秋山軍5000の兵を前におつやの方は甲冑を身に纏って1300人を指揮した。岩村城の攻め込みにくい地形を利用して、おつやの方は城を守った。
とはいえ、数の上では圧倒的に不利。頼りとなる信長も長島一向一揆に手を焼いていたため、援軍を出せずにいた。このままでは合戦に敗れてしまうと考え、おつやの方は首を差し出し、城兵と御坊丸の助命を嘆願。しかし、女性の首では受け入れられず、代わりに秋山虎繁は次の条件を突きつけた。
秋山虎繁が降伏の条件に突きつけたのって一体!?
秋山虎繁はおつやの方に対して、側室となり城を明け渡せば御坊丸をはじめ城兵の命は助けるというもの。つまり、おつやの方には織田信長を裏切って、敵の側室と成り下がるように言い渡された。
とても屈辱的な降伏の条件じゃな
おつやの方が逆さ磔の刑に処される
おつやは降伏条件を受け入れ、岩村城は武田方に降った。翌年、信長は岩村城に兵を送ったが、おつやの方と秋山虎繁はすでに結婚しており、織田軍は撃退された。また、おつやの方と4度目の夫・秋山虎繁の夫婦仲は良く、男児六太夫が誕生した。
・
そんな中、おつやの方に再び悲劇が襲いかかる。
・
・
武田信玄が亡くなり、武田家を裏切る者が出始めていた。織田信長と武田勝頼は長篠の戦いを起こした。信長は鉄砲を用いて、武田勝頼に大勝し、勝頼は多くの家臣を失った。その後、信長は長男の信忠に岩村城奪還を命じ、兵糧攻めを開始。信忠の軍は3万にものぼり、岩村城の10倍もの兵力であった。
秋山虎繁は半年間も籠城を続けていたが、兵糧も尽きてしまい、とうとう降伏。信長はこれを知ると、身内のため、城主、城兵ともに助命すると言い放った。これを受け、虎繁は岩村城を明け渡し、信長のもとへ出向いた。ところが、岐阜城にたどりついたところで取り押さえられてしまう。
信長に嘘をつかれていたのか!!
信長は秋山虎繁やおつやの方を捕らえると、逆さ磔の刑に処した。逆さ磔は通常の磔を逆さまにしたもので、頭に血がのぼり、下がってきた内蔵が呼吸を妨げることで死に至らしめる処刑法。非常に残酷な処刑方法であり、おつやの方や秋山虎繁は三日三晩苦しみながら絶命したという。
信長がおつやの方を斬ったともいわれているぞ
おつやの方のまとめ
おつやの方は織田信長の叔母であり、女城主として岩村城を守ったが、敵の秋山虎繁に降伏し妻となった。織田信長は敵の側室に成り下がったことに激怒し、おつやの方を捕らえて逆さ磔の刑に処した。
おつやの方は処刑される際、「敵であった秋山虎繁は約束を守ったが、身内の織田信長は約束を破る。こんな非道なものなら、信長もいずれも因果応報の死を迎えるだろう」と叫びながら絶命した。
この予言が的中したのか織田信長は数年後に本能寺の変で横死してしまう。
ちなみにおつやの方と秋山虎繁の子・六太夫は
毛利家に落ち延びて現在までその子孫が続いているそうだよ