織田信長の奥方といえば濃姫が有名だけど
信長が1番好きだったのは生駒吉乃だったといわれているぞ
生駒殿は信長殿との間に3人もの子をもうけたんじゃよ
それでは
織田信長が愛した生駒吉乃の生涯をみていこう!
生駒吉乃の誕生
生駒吉乃は1528年に織田家の家臣である生駒家宗の娘として誕生しました。生駒家は武家商人として、尾張や三河(愛知県)、美濃(岐阜県)で商売をしていました。そのため、生駒屋敷には様々な土地の人が出入りしており、多くの情報が集まったといわれています。
わしが百姓だったとき
生駒屋敷に出入りしている信長殿をみつけて、奉公を申し込んだんじゃ
吉乃は織田信長と結婚する前は美濃の土田弥平次のもとへ嫁いでいました。ところが、長良川の戦いに付随した合戦で命を落としたため、吉乃は実家に戻り、生活を送ることになってしまいました。
長良川の戦いは
斎藤義龍が父の斎藤道三を討ち破った合戦だな
織田信長との出会い
1550年代、織田信長は織田家の家督を継承していましたが、家中をまとめることができず、尾張一国さえも平定していませんでした。そのため、織田家内でも織田家の当主は弟の織田信行にすべきという者もいました。
柴田勝家も信長のことを反対していたみたい
そのような頃、織田信長は生駒屋敷に訪れました。そして吉乃は信長に見初められて側室となります。ところが吉乃は信長との結婚後も生駒屋敷で生活していました。
信長殿が6歳年下じゃ
信長は吉乃のことを愛しており、3人の子に恵まれました。長男の織田信忠、次男の織田信雄、長女の徳姫です。
この3人は織田家を引き継ぐ重要な子どもたちだな
ところが、吉乃は徳姫を産んでから体調が悪くなり、病床に伏すことが多くなってしまいました。また、吉乃は実家の生駒屋敷で生活していたため、戦に明け暮れている信長には体調の悪化を伝えずにいました。そうした中で、信長は小牧山城を完成させて、吉乃にそこへ移住するように伝えます。しかし、体調が悪いから移動できないといわれ、この時はじめて信長は吉乃が体調を崩していることを知ります。
これを知ると信長は急いで吉乃のもとに行き、輿に乗せて小牧山城まで運びました。そして、家臣たちに次期当主の母であると披露したのです。
この1年後に亡くなってしまったんじゃ
悪いのに輿に乗せたり
家臣の前にだしたんかい
生駒吉乃の謎
生駒吉乃の名前は「武功夜話」にしか登場しないため、生年が不明です。
また、織田信長と濃姫の間に子どもがいなかったため、吉乃の産んだ子は正室の子のように扱われていました。また、側室の身分では乗れない輿が用意されており、吉乃は正室と同格の扱いを受けて、信長から非常に愛されていたことがわかります。
織田信長は非情な人かと思ってたけど
人を愛するんだな
まとめ
生駒吉乃は織田信長の最愛の女性であり、後継の織田信忠を産んだ女性です。ところが、その生い立ちは謎めいています。女性の身分が低かった戦国時代には、豊臣秀吉の正室のねねのように記録に残っている女性は少なく、織田信長の妻であってもその生き様の記録は残っていません。
信長の奥方の生き様は記録に残ってない人が多いなー