戦国時代はいつ裏切られるかわからない世の中
みせしめのために現代では思いつかないような処刑法がいくつもあったみたい
武士たちはいつ敵に討たれるかわからない世の中だから
仕方がないんじゃ
それでは戦国時代に行われた
恐ろしすぎる処刑方法を見ていこう!
切腹
武士が主に行った処刑方法。武士たちは切腹という行為に美学や忠義、誇りなどの気高い精神を見出していたといいます。また切腹の起源は古く、源義経が最初に行ったとされています。
切腹した人を楽にするため首を切り落とす介錯がついておったんじゃが
首を切り落とすのはかなりの熟練者じゃないと切り落とすのは難しいんじゃよ
火刑
火刑は主に放火を行ったものに処された刑。罪人は市中引き回しの後、竹枠で組まれた柱に縛りつけられます。そして竹枠に藁をつまれ、火をつけられたといいます。なかなか絶命しない苦しい刑でした。
江戸時代には残酷すぎるということであまり行われなくなったそうやで
穴吊るしの刑
江戸時代に入ってから隠れキリシタンに棄教を迫るために行われた処刑法。罪人は地面に空いた穴へ逆さに吊るされました。さらに罪人がすぐに亡くならないようにこめかみに少し穴を開けていたともいわれています。
痛みに耐えられないキリシタンは処刑中に棄教することで解放されました。この処刑法は亡くなるのに4日ほどかかる刑法であったといわれています。
ほとんどのキリシタンは棄教したけど
ローマに出向いた中浦ジュリアンは耐え続けて亡くなったというよ
釜茹での刑
戦国時代に現れた天下の大泥棒石川五右衛門に行われた刑法です。五右衛門は市中引き回しの後、三条河原で子どもと一緒に処刑されました。通説では熱湯で茹でられたといわれていますが、実際には油で揚げられた説が有力となっています。
五右衛門はあまりの熱さに子どもを下敷きにしたというよ
鋸引きの刑
もっとも重い刑罰である鋸引きの刑。織田信長や徳川家康が行ったことで有名な方法。
罪人は立った状態で土の中に埋められ、首だけが出て身動きの取れない状態にさせられます。そして、あえて切れ味の悪くした鋸引きで徐々に罪人の首を切っていくという刑法。罪人を苦しめるため、被害者の親族や通行人に1回か2回ずつひかせ、ゆっくりゆっくりと処刑したといいます。
これは本当に恐ろしい刑やなー
罪人は亡くなるのに7日はかかったというぞ
まとめ
戦国時代の恐ろしい処刑はみせしめが目的で行われました。大名たちは、残忍な行為をとらないと天下は治められないと考えていたのでしょう。
現代では考えられないくらい恐ろしいなー