
「大河ドラマ・どうする家康」で登場するお市の方は
北川景子さんが演じている織田信長の実の妹ですね

お市の方の人生は戦乱の世に左右された波乱万丈な人生じゃったな

お市の方の最期や徳川家康との関係についても調べてみましたー!!
お市の方の年表


お市の方の家系図


お市の方の誕生
お市の方(演 : 北川景子)は1547年、尾張(愛知県)に織田信秀(演 : 藤岡弘)の五女として生まれました。兄・織田信長(演 : 岡田准一)とは13歳も離れていますが、同じ母である土田御前と言われています。


織田信長の姪という説もあるようです
お市の方と浅井長政
兄・織田信長は隣国・美濃(岐阜県)を平定するために、近江(滋賀県)の大名・浅井長政(演 : 大貫勇輔)と同盟を結ぶことにしました。そのため、お市の方は織田信長の命により浅井長政のもとに嫁ぐこととなりました。


浅井長政に嫁いだのはお市の方が22歳の頃で
当時としてはあまりにも晩婚すぎることから浅井長政は再婚相手ではないかといわれています
お市の方と浅井長政は仲が良く、3女を授かったといわれています。2人の間に生まれた茶々・淀殿、初、江の3人の娘たちはそれぞれ名門家に嫁ぎ、歴史に深く関わっていくことになります。また、浅井長政には長男・万福丸と次男・万寿丸がいたとされていますが、お市の方の実子であるかははっきりしていません。


万福丸は織田信長の命令により
串刺しにされたといわれています
お市の方と小豆
当初、夫・浅井長政と兄・織田信長との同盟関係は良好でした。しかし、織田信長が浅井家と良好な関係を結んでいた朝倉家へ侵攻を開始しました。これを知った、浅井長政は同盟を破棄して、金ヶ崎口で織田軍を追い詰めることを決めました。
通説によれば、お市の方は兄・織田信長を救うために、手紙では怪しまれる可能性があったため、小豆入りの袋の両端を縛ったものを陣中見舞いとして織田信長に送り付けたと伝えられています。


どうする家康では「小豆」から転じて
お市の方の待女は「阿月」となっていましたね
織田信長は浅井長政の裏切りにより窮地に陥りましたが、すぐに兵を立て直して姉川の戦いが勃発しました。これにより浅井家は勢力を一気に削がれてしまいました。その後、織田信長の家臣・豊臣秀吉(演 : ムロツヨシ)が浅井長政の居城・小谷城を陥落させたことにより、浅井長政は自害し、お市の方と3人の娘たちは伊勢(三重県)の兄・織田信包の保護下に置かれることになります。


お市の方は本能寺の変までの9年間余りは娘たちと
平穏に暮らしていたようです
お市の方と柴田勝家
明智光秀(演 : 酒向芳)が本能寺の変を起こし、織田信長が亡くなるとお市の方の身の回りにも変化が訪れました。豊臣秀吉が明智光秀を討ち取ったことで、織田家内で頭角を現しはじめます。お市の方は豊臣秀吉が勢力を拡大させることを快く思わず、織田家筆頭家老であった柴田勝家(演 : 吉原光夫)に嫁ぐことで豊臣秀吉を牽制しようと考えました。


清州会議での取り決めが柴田勝家にとって不服だろうから
豊臣秀吉がお市の方を柴田勝家に嫁がせたという説もあります
この結婚が決まったときにはお市の方は36歳で、柴田勝家はそれよりも25歳年上の61歳でした。そのため、2人の間には子がいなかったと言われていますが、仲は良好だったと伝えられています。
しかし、柴田勝家と豊臣秀吉との間で賤ヶ岳の戦いが勃発。豊臣秀吉はさらに進軍して、柴田勝家の居城・北ノ庄城を包囲しました。お市の方は3人の娘たちを逃して、柴田勝家とともに自害して果てました。


お市の方は80人あまりの女中とともに自害したと伝えられています
お市の方と徳川家康の関係


「大河ドラマ・どうする家康」ではなにかとお市の方と徳川家康と接点がありますが
実際にはどのような関係があったのでしょうか?
お市の方は浅井長政に嫁ぎましたが、織田信長によって滅亡させられ、未亡人となりました。一方、徳川家康も武田家との内通により、正室・築山殿(演 : 有村架純)を失いました。
ともに配偶者が居なかったために、織田信長が織田と徳川の両家の結びつきをより強固なものにするため、2人に結婚を進めたという話が残っています。
お市の方と娘たち
お市の方は浅井長政との間に3人の娘が生まれましたが、2人目の夫である柴田勝家との間には双方とも老齢であったため子はいませんでした。
長女・茶々(淀殿)。豊臣秀吉の側室となり、豊臣秀頼を出産しました。しかし、大坂の陣で豊臣家は滅ぼされてしまったため、現在に子孫は続いていません。
次女・初。京極高次に嫁ぐも、子はいなかったといいます。
三女・江。佐治一成、豊臣秀勝、徳川秀忠に嫁いでいます。息子の徳川家光は徳川将軍家として続いたのは有名です。また、豊臣秀勝との間に生まれた完や徳川秀忠との娘・和は公家に嫁いだため、現在の天皇家にその血筋は続いています。


浅井の血は現在も受け継がれているということですね
まとめ
お市の方の辞世の句は
「さらぬだに 打ちぬる程も 夏の夜の 夢路をさそふ ほととぎすかな」
「もう寝る時間であるにも関わらず、まるで夏の夜に別れを告げるほととぎすのようだなー」と歌って、亡くなったといわれています。


ホトトギスは死後の世界にある険しい山から飛んでくるという考えられていたから
ホトトギスがお市の方を迎えに来ているようだなーと歌ったんですね