
「大河ドラマ・どうする家康」で登場する丹羽長秀は
福澤朗さんが演じている織田信長の宿老ですね

丹羽長秀の最期は寄生虫に侵されていたんじゃ

丹羽長秀の最期は病魔に侵されていたようですが
一体どのような最期だったんでしょうか?
丹羽長秀の生涯
丹羽長秀(演 : 福澤朗)は幼い頃から織田信長(演 : 岡田准一)に仕えていました。織田信長のもとで様々な戦に出陣し、織田家の宿老次席にまで上り詰めています。


織田家筆頭家老は柴田勝家ですね
しかし、本能寺の変が起こると、織田政権は明智光秀(演 : 酒向芳)を討ち取った豊臣秀吉(演 : ムロツヨシ)によって取って代わられました。その後の清州会議では、丹羽長秀は勢いのある豊臣秀吉に味方して、盟友の柴田勝家に対抗しました。その結果、豊臣秀吉は賤ヶ岳の戦いで柴田勝家(演 : 吉原光夫)、織田信孝を自害に追い込みました。完全に豊臣秀吉の天下が決まった1585年に亡くなりました。


丹羽長秀は織田家存続のために豊臣秀吉に手を貸しましたが
ここまで乗っ取られるとは思っていなかったでしょうね、、、
丹羽長秀の死因
丹羽長秀は晩年、寄生虫に侵されており、それが原因で亡くなりました。その際、丹羽長秀は割腹して亡くなったと言われています。そのエピーソードについて紹介します。


丹羽長秀の寄生虫病については次のような話が残っています
丹羽長秀は割腹して臓器を豊臣秀吉に送り付けた?
丹羽長秀は清州会議では勢いのある豊臣秀吉に味方しました。しかしその後の賤ヶ岳の戦いで、豊臣秀吉が織田信孝を自害に追い込んだことをよく思っていませんでした。勢いよく織田政権を奪いさる豊臣秀吉の様子が、丹羽長秀にとって亡き織田信長を蔑ろにしているように見えたからでしょう。つまり、丹羽長秀は表向きでは豊臣秀吉に従いながらも、裏でははらわたが煮えくり返っていたのでしょう。
それを示すために、寄生虫に侵された自身の臓器を送りつけることで最期に見せつけようとしたのではないかと考えられています。


織田家のほとんどの武将が、本心では豊臣秀吉殿に従うのが嫌じゃっただろう
わしもそうじゃが、、、
丹羽長秀は寄生虫病に耐えれず割腹したのか?
丹羽長秀は晩年、寄生虫病に侵されていましたが、それがあまりにも苦しくて自分で割腹したのではないかと言われています。


次のような逸話が残されています
丹羽長秀の死後、火葬すると灰の中に未だに焼けきれていない虫が出て来たと言います。拳くらいの大きさで、形は石亀のようで、くちばしは尖って鳥のようであったといいます。さらに丹羽長秀が割腹したために背に傷があったといいます。
これを知った豊臣秀吉は医師を命じて薬をかけて虫を殺そうとしましたが、それでは死にませんでした。そこで、豊臣秀吉は別の医師に命じて薬をかけさせたところ、その虫が死んだといいます。豊臣秀吉はこのことを称賛して、その医師に虫の遺物を与え、代々の家宝とさせました。


かなり超越した話ですね、、、
丹羽長秀の年表


丹羽長秀の相関図・家系図


まとめ
丹羽長秀は織田信長に仕えて、「米五郎左」と言われるほど織田家には欠かせない人物となりました。しかし、本能寺の変が起こると、盟友の柴田勝家と対立して豊臣秀吉に従っています。ここまでは丹羽長秀の眼力はさすがといえますが、賤ヶ岳の戦い以降は完全に豊臣秀吉に取り込まれています。そのうやむやを晴らすために腹を切って豊臣秀吉に送りつけたのではないでしょうか?