常に死と隣り合わせの戦国武将が残した名言の中には
きっと現代人の胸を打つものもあるだろうな
偉人は名言を残して
後世に伝えるものじゃしのー
今回は戦国武将が生み出した名言を5つ紹介していきます!
是非に及ばず
これは織田信長が本能寺にて明智光秀に襲撃された際に遺した言葉。この言葉を現代語訳すると、「良いでも悪いでもない」という意味になり、簡単にいうと「しょうがない」となる。
信長はどういう意図でこの言葉を言ったんでしょうか?
信長は明智光秀の恨みをかっていることを知っていたからしょうがないと言ったのだろうか。とはいえ、信長がこの後も戦っているところをみると、「良い悪いを言ってもしょうがない」という意味であると解釈できる。
つべこべ言わずに戦う
信長様らしい発言じゃな
他にも信長が遺した名言が
臆病者の目には、敵は常に大群に見える
信長が今川義元を桶狭間の戦いで打ち破った際に放った一言。今川軍4万5千に対して、織田軍はたったの2千であった。信長がここで勇気を出して戦いに挑んだからこそ、天下統一という大成功に繋がったのだろう。
そんな信長様は「絶対は絶対にない」という名言を遺しておられる
意外と用心深いところもあるんじゃ
人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり
これは武田信玄が遺した言葉とされている。人こそ国を守る城であり、石垣であり、堀である。人には情をもって接し、思いやりのない行動は避けろという教え。この言葉は部下をもった上司や企業のトップなどが座右の銘としても活用しているほどの格言。
この言葉は「甲陽軍鑑」という江戸時代に武士の間でロングセラーになった本に書かれているよ
成せば成る。成さねばならぬ。成る業を成りぬと捨つる人の儚き
これも武田信玄の言葉。強い意志を持って取り組めば何事もできるが、やらなければ何も起きない。最初から無理だと諦めてしまうところに人の弱さがあるという意味。のちに上杉鷹山は「成せば成る成さねば成らぬ何事も」と有名な言葉を遺した。
信玄はカリスマだから
沢山の名言を遺したんですね
人の一生は、重き荷を負うて遠き道を行くが如し。急ぐべからず。不自由を常と思えば、不足なし。
これは徳川家康が遺した言葉。徳川家康といえば、「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」という句でよく知られているが、何もしなかったわけではない。
若い頃は織田信長と同盟を結んだものの、家臣同様の扱いを受けており、武田家との内通が疑われて妻子が切腹させられている。さらに、豊臣秀吉に先を越されて天下統一されてしまった。それでも家康は不満を言わずに機を待ち続けた。その結果、200年以上続く江戸幕府を開くという偉業を達成したのだった。
辛抱強い家康そのものを表していますね
家康の名言は他にも!!
最も多くの人間を喜ばせたものが、最も大きく栄える
「栄えたければ、自分の利益だけではなく、他者の利益になることが重要だ」という教え。企業は多くの利益を上げることを目標としているが、そのためには多くの人を満足させる商品を提供することが重要だといえる。
「怒りは敵と思え」という名言もあって
本当に我慢の多い人生だったんでしょうね
戦わずして勝ちを得るのは、良将の成すところである
これは豊臣秀吉が遺した言葉。豊臣秀吉は低い身分にも関わらず、天下統一を成し遂げた。その背景には、効率を重視し、不毛な戦いや勝ち目のない戦いをすることを避けた。また、軍事工作や兵力を温存するために兵糧攻めや水攻めなど、刀を交えることなく勝つことを好んだため、このような言葉が生まれたのだろう。
「戦わずして勝つこと」をモットーにしている秀吉らしい言葉ですよね
財産を貯め込むのは、良い人材を牢に押し込むようなものだ
秀吉は天下統一のためにここぞという場面で資金を投入した。その結果、ハイスピードで出世できたのであろう。現代ではお金を貯め込んでなかなか使わない人がいるが、それは大きな損をしているということを言っている。
秀吉は戦国武将の中で最もお金の使い方が武将
人の上に立つ対象となるべき人間の一言は、深き思慮をもってなすべきだ。軽率なことは言ってはならない
これは上杉謙信が遺した言葉。人の上に立つ立場の人は影響力があるため、ことさら慎重な発言をしなければならない。
戦国武将の中でも格別義に厚かった上杉謙信は次のような言葉も遺した。
「大事なのは義理の二字」である。死ぬべきに当たってその死をかえりみず、生きる道においてその命を全うし、主人に先立つ、これこそ武士の本意である。
上杉謙信は本当に義に厚い武将だったんですね
まとめ
歴史に名を残した戦国武将は現代人にも役立つような名言を遺していた。これらの名言は武将の性格や人生によってさまざまなであり、彼らの人柄を知るのに重要な要素ではないだろうか。
名言は後世に創作されたものもあるから一概にはいえないけど
おおよその人柄はわかるよね