戦国時代を代表する大名上杉謙信。彼は「軍神」や「越後の龍」と称され、義を重んじて弱い武将のために合戦を繰り広げたことで人気の高い武将です。
謙信公は自身の領地拡大ではなく、人助けのために戦をしたんじゃなー
一方、武田信玄は「甲斐の虎」と称され、武田騎馬隊を率いた名将でした。その強さは織田信長をも恐れるほどで、徳川家康は完膚なきまでに打ちのめされています。
両者は戦国時代を代表するライバルで、川中島の戦いで5回も争いました。
信長の勝率は7割くらいだけど、
信玄も謙信も合戦での勝率は脅威の9割越え!!
あるとき、信玄が同盟を結んでいた駿河(静岡県)の今川家と相模(神奈川県)の北条家に同盟を破棄され、海のない内陸の甲斐(山梨県)への塩調達ルートがたたれてしまったのです。
そのため領民たちは体に必要な塩分を摂取できず、健康被害がでるほど深刻でした。これをみていた謙信は甲斐の領民を救うために信玄に塩を送ったという逸話が残っています。
このころ謙信と信玄は合戦の真っ最中であり、戦に勝とうと思うならば信玄に塩を送らないほうが有利なはずです。ところが謙信は甲斐の領民が苦しんでいるのを見過ごすことはできず、敵である信玄に塩を送ったという話です。
まさに謙信の義を象徴する話なのです。
この話は桶狭間の戦いから7年後の話じゃ
このころの今川家は権威が失墜しておったわ
しかし、実際には塩を送っていません。謙信は信玄に塩を送ったのではなく、「塩の販売網維持」を命じただけでした。つまり、「塩の販売をやめずにこれまで通り適正な価格で取引するように」と商人たちに通達したのです。
「塩を送った」話は江戸時代の人々が創作したといわれているよ
謙信と信玄の一騎打ちも創作みたいだ
とはいえ、謙信が信玄に塩を送っていなかったとしても、ライバル信玄の窮地を救ったことは間違いありません。
2人は互いに認めあっていたみたいで、
信玄公は亡くなる際、跡継ぎに向かって「困ったら謙信を頼れ」といったそうじゃ