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[5分でわかる!]戦国版走れメロス!!歴史を変えた足軽とは!?

戦国小話
ひろ
ひろ

歴史を変えた足軽として有名なのが鳥居強右衛門とりいすねえもんだよなー

豊臣秀吉
豊臣秀吉

強右衛門は長篠の戦いの際に大活躍した足軽じゃ、

こやつがいなかったら長篠の戦いで織田軍は敗れていたかもな

ひろ
ひろ

そんなにすごいんやなー

それではスーパー足軽鳥居強右衛門を見ていこう!

鳥居強右衛門。最期は磔にされた。
(落合左平次道次背旗)
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鳥居強右衛門とは!?

鳥居強右衛門とりい すねえもんは1540年、三河(愛知県)に農民の子として生まれたと言われています。武士に憧れていた強右衛門は、近くの寺に弟子入りをして、学問や兵学を学びました。特に泳ぐことが上手であったといわれています。

ひろ
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自らを律するため、「勝商かつあき」っていう名前から「強右衛門」という名前に変更したそうやで

その後東三河の武将奥平信昌おくだいらのぶまさの足軽として働くようになります。奥平家は小さな家であったために今川家、武田家など仕える主君をたびたび変更していましたが、最終的に徳川家康に仕えました。家康から長篠城を与えられ城主となります。

この頃、名将武田信玄の跡を継いだ武田勝頼はどんどん西へ侵攻し、ついに信昌のいる長篠城へ戦を仕掛けてきました。

豊臣秀吉
豊臣秀吉

長篠城は三河攻略への重要な拠点となるため

勝頼はなんとしてでも長篠城を落としたかったんじゃ

勝頼は2万もの勢力を率いて、長篠城へ攻め込みました。ところが長篠城は難航不落の城でなかなか陥落しませんでした。

ひろ
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それに奥平信昌は田家を裏切って徳川家に従っていたから

是が非でも勝利したかったんやろなー

長篠城。山と川に囲まれた難攻不落の城。(wikipedia

立ち上がった足軽!!

城がなかなか落ちないことにいらいらした勝頼は兵糧攻めを敢行。これにより、奥平軍の士気は一気に下がります。

ひろ
ひろ

兵糧攻めは戦う気力を一気に失わせる戦法

そこで信昌は軍議を開いて、次のようにいいます。

兵糧がもうすぐで底をついてしまい、このままでは落城してしまう。

だれか家康様と信長様のいる岡崎城まで走って救援を求めよ

豊臣秀吉
豊臣秀吉

援軍要請をするにしても城の周りは完全に武田軍に囲まれていたから

なかなか志願するものはいなかったんじゃ

そのとき鳥居強右衛門が立ち上がり、この任務を引き受けます。強右衛門は足軽でしたが、彼の勇気と行動に感動した信昌は強右衛門にすべてを託しました

ひろ
ひろ

強右衛門かっこいい!!

そして真夜中、武田軍にばれないように長篠城を抜け出します。川を4キロ泳いで、雁峰山がんぼうざんのろしをあげると、一気に走り続けて岡崎城まで到着しました。長篠城から岡崎城まで50 kmほどをわすが半日で完走します。

ひろ
ひろ

のろしは仲間たちへの脱出の合図やなー

この当時は道が整備されていないし盗賊もいるし大変やったやろなー

岡崎城に到着した強右衛門は家康と信長

長篠城は落城寸前で兵糧ももうすぐ底をつきます。一刻も早くご援軍をお願いします」

これを聞いた信長は今すぐ援軍を送ることに決め、強右衛門に休むよう命じます

しかし強右衛門は「仲間が待っている」といって、すぐに長篠城へ戻ることに決めました

ひろ
ひろ

強右衛門は本当に仲間思いなやつやなー

奥平信昌。晩年は美濃10万石の大名となる。
(久昌院蔵)

英雄となった足軽

再び50 kmほどの道のりを走り、次の日には長篠城付近に到着。雁峰山でのろしをあげます。これをみた長篠城の兵士たちは歓喜し、一気に士気があがりました。

ところが武田軍は急に城内が湧き上がるという異変に気づくと、城周辺の見回りを強化

ひろ
ひろ

強右衛門が戻って来たことを知ったときは本当に嬉しかっただろうなー

そして強右衛門は捕らえられ、勝頼に事の詳細を話すように要求されます。

勝頼は状況を知ると

奥平軍に援軍は来ないと言えば、命を助けて武田家の家来にしてやろう

といいました。

家族のいた強右衛門はこの提案を受け入れ、城の兵士に向かって「援軍はこない!」と叫ぶことになります。

豊臣秀吉
豊臣秀吉

自分の命を守るため、家族を守るため、

寝返る武士は多かったんじゃー

強右衛門が捕まったことをみた奥平軍は「強右衛門が捕まった!?援軍は来ないのか」と不安になりました。

そして強右衛門はこう言います。

.

.

.

.

.

 みんなすまない捕まってしまった。だが大事なことを伝えなければならない。
 援軍は来る。二、三日の辛抱でござる。だから死ぬ気で守られよ

これを聞いた城内の兵たちは一気に歓声をあげます。

ひろ
ひろ

強右衛門は仲間を裏切らなかったんだ!!

しかし強右衛門は磔にされ、槍で突かれて絶命してしまいます

これをみた奥平軍は強右衛門のためにも、命をかけて長篠城を守りきりました

その後織田徳川連合軍本隊が到着して、長篠設楽原の戦いが勃発。織田信長は武田勝頼に勝利しました。

豊臣秀吉
豊臣秀吉

強右衛門の行動には敵味方関係なく心を打たれたというぞ

ひろ
ひろ

そこで武田家臣たちは強右衛門を磔にすることを拒んだそうだけど、勝頼は無視したみたい

そんな武士道に反するような行動をした勝頼に信頼をおけなくなった武田家臣はどんどん武田家から離反していく

勝頼との約束を反故し「援軍が来る」と叫んでいる様子(鳥居強右衛門敵捕味方城中忠言)

まとめ