日本人の3人に1人が痔持ちで悩んでいるといわれているけど、
戦国武将も痔持ちが多かったみたいやなー
そうなんじゃ
武士は馬に乗って移動するから、痔になると大変なんじゃー
今回は痔に悩まされた武将をみていくぞ!!
加藤清正は痔持ちだった!?
豊臣秀吉の家臣である加藤清正。熊本城や名古屋城を築き、「清正公」と親しまれている人物。
偉大な清正も実は痔に悩まされていたのであった。
猛将で知られる清正が痔に苦しめられていたなんて!
その症状はひどく、トイレにいくとなかなか戻ってきませんでした。そのため家臣をトイレの前に呼び寄せて、トイレの中から命令を出していたといいます。
トイレに長くこもったらさらに痔が悪化するから危険じゃなー
合戦中に痔を我慢しながら戦った!?
2人目は榊原康勝。徳川四天王の一人榊原康政の息子です。
康勝は大坂の陣で徳川軍として参戦し、天王口で真田幸村と合戦を繰り広げました。
ところが、大坂夏の陣からの帰り道、京都で26歳という若さにして亡くなってしまいました。
痔が原因で亡くなったんじゃろか?
康勝は大坂冬の陣でおしりの腫れ物が破れて、大量出血!痛みを我慢しながら戦ったといいます。その後の大坂夏の陣ではさらに痔が悪化して、鞍に血がたまるほどだったといいます。
康勝は痔を我慢していましたが、治療することなく合戦に参加したため、菌が繁殖して亡くなってしまいました。
大坂夏の陣に参戦しなければ亡くならずにすみそうだけど、
榊原家はむかしから家康に仕えていた家系だから
参戦しないわけにはいかないよなー
戦場じゃないとこでなくなるのは、武士として不本意じゃなー
武田家の家臣も痔!?
武田信玄の甥である穴山梅雪。信玄の娘を妻に迎えており、武田家の重臣筆頭で、信玄に仕えて様々な合戦で活躍しました。
ところが信玄が亡くなって、武田勝頼が後を継ぐと、武田家を裏切って信長に仕えます。
信長公に仕えたのは、武田家の血筋を途絶えさせないためじゃ
ところが本能寺の変で信長がなくなると、徳川家康とともに伊賀越えを行いました。家康は無事に三河(愛知県)に帰国できましたが、梅雪は道中で落武者狩りに遭い亡くなってしまいます。
梅雪が家康と別行動したのは、悪化した痔の痛みで馬に乗れなかったことが原因といわれています。
痔のせいで動きが遅いから討たれたんだろうなー
まとめ
いまもむかしも、痔で悩む人は絶えません。武将は基本的に馬に乗って移動するため、余計に痔になりやすいでしょう。
みなさんは痔には気をつけてくださいね!
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