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あれも!これも!織田信長が日本に輸入した身近なものとは?

戦国小話
ひろ
ひろ

織田信長好奇心旺盛な性格で知られているよなー

徳川家康
徳川家康

信長殿は宣教師との交流が深く

さまざまなものを日本に取り入れたんじゃ

ひろ
ひろ

日本の近代化を一気に進めたなー

今回は信長が日本に取り入れたものをみていこう!!

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信長が輸入した食べ物

バナナ

1569年に宣教師・ルイス=フロイスは信長とはじめて謁見した時、バナナを献上したといいます。

ひろ
ひろ

信長が食べたかどうかはわかないよ

ポルトガルの宣教師ルイス・フロイス。
戦国時代に起こった事柄を詳しく記述した。

金平糖

金平糖もルイスフロイスによって献上されました。透明なフラスコに入った金平糖をみて、信長はたいそう喜んだといいます。

ひろ
ひろ

宣教師たちは、他にもカステラボーロなどの南蛮菓子を持ち込んだ

徳川家康
徳川家康

キリスト教布教活動活動のためじゃな

織田信長。信長はビロードのマント羽織るなど
南蛮の文化を好んだ。(三宝寺所蔵)

ワイン

宣教師が信長にワインを献上したという記録は残ってはいないが、信長がはじめて飲んだと伝えられています。

ひろ
ひろ

ちなみに、豊臣秀吉が1588年にワインを飲んだという記録は残っていて

ワインは珍陀酒ちんたしゅと呼ばれていたらしい

相撲大会。信長は相撲も好んだ。(両国国技館展示)

地球儀

宣教師たちは信長に地球儀も献上していました。そして地球は球体であると説明されると、信長はすぐに理解したといいます。

ひろ
ひろ

当時の日本人は地球は平面だと考えていて、

江戸時代に入っても、庶民の考えは変わらず平面と考えていたみたい

徳川家康
徳川家康

信長殿は考え方が柔軟なんじゃな

地球儀。信長はよく地球儀を観察していた。

黒人奴隷

1581年、イタリア人の宣教師・アレッサンドロ=ヴァリニャーノが黒人奴隷を信長に献上しました。この黒人奴隷はモザンビーク出身であり、「ヤスフェ」と呼ばれていました。そこで信長は「弥助」と名づけたといいます。

信長ははじめて弥助と謁見すると、身体が墨を塗っているかのように黒いことに驚き、身体を洗わせました。ところがそれでも黒かったため非常に驚いたといいます。

また弥助は身長が180センチもあり、力が強かったため、信長は弥助を武士ととして取り立てました。ところが本能寺の変で信長が明智光秀に討たれると、弥助の消息は途絶えてしまいます。

ひろ
ひろ

ちなみに、1584年に九州で起きた沖田畷の戦いに黒人が参戦していたという記録が残っているよ

弥助。(南蛮屏風)

まとめ

織田信長は好奇心旺盛であったため、次々と異国文化を取り入れました。

織田信長が日本で最初に行ったことといえば、鉄砲隊の編成といわれますが、信長が鉄砲隊を編成する以前から鉄砲隊は存在していました。ところが信長のように大規模な鉄砲隊を編成する大名がおらず、また戦国最強といわれた武田騎馬隊を撃ち破ったことから、信長に鉄砲のイメージがついたのでしょう。

ひろ
ひろ

世間の人々にとって

武田騎馬隊を撃ち破った織田信長は相当すごかったんやろなー

火縄銃。1丁1千万円もしたという。