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ガラシャは明智光秀の娘として有名だよなー
「逆賊の娘」なのに生き残れたよなー
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ガラシャが長生きできたのは夫細川忠興のおかげじゃ
忠興は異常なほどにガラシャを愛しておったからな
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それでは細川ガラシャの生涯をみていこう!
細川ガラシャの相関図
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最期は石田三成に襲撃されたんやなー
![徳川家康](https://www.bushoolife.com/wp-content/uploads/2021/06/nigaoe_tokugawa_ieyasu.png)
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関ヶ原の戦いの前には細川藤孝も三成からの侵攻を受けておる
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細川ガラシャの誕生
細川ガラシャは1563年、越前(福井県)に明智光秀の三女として生まれました。本名は明智玉といいます。15歳の時、細川藤孝(幽斎)の長男、細川忠興に嫁ぎました。また、ガラシャと忠興はかなり仲がよく、子どもに恵まれました。
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忠興はガラシャのことをかなり溺愛していたみたい
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本能寺の変によって激変する生涯
父明智光秀が主君織田信長を討つ本能寺の変を起こします。その後光秀は豊臣秀吉と山崎の戦いで対峙しますが、夫忠興や藤孝は参戦しませんでした。そして光秀が敗れると、ガラシャの母や姉は自害。ガラシャは「逆臣の娘」として生きることとなります。
![徳川家康](https://www.bushoolife.com/wp-content/uploads/2021/06/nigaoe_tokugawa_ieyasu.png)
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本能寺の変の際には、光秀から協力要請が何度も来たようじゃが
細川家は味方せずに城で待機していたのは懸命な判断じゃな
本来ならガラシャも自害するところですが、夫忠興がガラシャのことを溺愛していたため、ガラシャと離縁するものの、保護して丹後(京都府)に隠居させます。
その後忠興は秀吉に臣従し、秀吉がガラシャの身の上を知ると、ガラシャと忠興の別居状態を解消して、細川家に戻ることを認めます。
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2人は一緒に住めるようになったけど
ガラシャが逆臣の娘であることには変わりないから辛い生活だったろうなー
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キリスト教との出会い
夫忠興がキリシタン大名高山右近から聞いたキリスト教の話をすると、ガラシャはキリスト教に興味を持つようになります。九州征伐により忠興が不在の間にガラシャは身を隠して教会に行って洗礼を受けようとしました。
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ガラシャは旧織田の家臣からの命を狙われる危険があったから、
忠興の監視下で生活していたみたい
ところが、教会側は正体不明である、身分の高い女性を洗礼することを拒否。さらに、勝手に教会に行っていたことが、忠興らにバレてしまいガラシャは外出を禁止されます。しかし、ガラシャは待女を通じて教会とやりとりし、信仰心を深めます。そして、待女たちに教会で洗礼を受けさせ、ガラシャは外出せず待女たちに洗礼してもらいました。
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洗礼名を「ガラシャ」といい、「神の恵み」を表すぞ
ガラシャがキリシタンになったことを知った忠興は激怒。改宗した待女たちの鼻や耳をそいで追い出すなどの行動に出ました。さらに、忠興は「側室を持つ」などいってガラシャに強くあたります。ところがガラシャの信仰心は変わることはありませんでした。
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ガラシャがキリシタンになったころに
バテレン追放令が発令されたから、忠興は激怒したんじゃろな
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ガラシャの最期
天下人豊臣秀吉が亡くなると再び天下は動き出します。豊臣政権下で力をつけていた徳川家康は上杉景勝の領土会津(福島県)へ侵攻。忠興は家康に従って上杉征伐に参戦。
忠興が不在の間に、石田三成はガラシャを人質に取ろうと細川邸を襲撃します。ガラシャは忠興にいわれていたように、人質になるくらいなら死を選びます。そして家臣に槍で胸を突かせて亡くなりました。
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キリシタンは自害できんかったから
家臣に槍で突かせたんじゃろな
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まとめ
細川ガラシャの生涯は明智光秀の娘として生まれたことにより、「逆臣の娘」として扱われた辛いものです。そのためキリスト教に救いを求めるも、バテレン追放令にあうという常に逆風に見舞われた波瀾万丈の人生でした。
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ガラシャの辞世の句は、
「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」
花も人も散りどきが大事、花には花の、人には人の価値がある
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