
「大河ドラマ・どうする家康」の39話のタイトルは「太閤、くたばる」ですが
豊臣秀吉の死因は一体なんだったんでしょうか?

織田信長は享年49、わしは75
太閤殿下は62じゃよ

豊臣秀吉も当時としては長生きな方ですよね
豊臣秀吉の死因や辞世の句に迫っていきましょう!
豊臣秀吉の死因は?
豊臣秀吉の死因は明確ではありません。豊臣秀吉が最晩年に楽しんだ醍醐の花見からわずか3ヶ月後に亡くなりました。


豊臣秀吉の死因として有力なものを紹介します
大腸がん
豊臣秀吉の死因として、「大腸がん」とされる説が最も有力と言われています。秀吉の晩年の記録には、下痢、腹痛、食欲不振、急激な体重減少などの症状が記されており、これらは腸に問題が生じた際に典型的に現れるものであるため、大腸がんの可能性が有力視されています。


大腸がんで豊臣秀吉はくたばってしまったのか、、、
梅毒説
豊臣秀吉の死因の一つとして有力視されるのは「梅毒」とされています。豊臣秀吉は晩年、知的精神的能力の低下や失禁の症状が見られたと伝えられています。これらの症状は梅毒が進行すると現れるため、特に脳や神経に影響が及び、知的能力が低下することが知られています。


豊臣秀吉の晩年はボケていたと言われていますし
梅毒も納得できますね
さらに、秀吉は女性好きで知られていたことから、性的接触を通じて梅毒に感染した可能性も指摘されています。
名医がいなかった
豊臣秀吉は天下人となった頃から、「番医制」という制度を整えていました。これは、豊臣秀吉専属の医師団を整えていました。


名医に囲まれていたのに
どうして豊臣秀吉は亡くなってしまったのでしょうか?
この医師団にはかなりの名医として知られる「曲直瀬玄朔」がいませんでした。曲直瀬玄朔は豊臣秀次の相談役であったために、1595年の豊臣秀次切腹事件に連座して、常陸(茨城県)へ左遷されてしまいました。


佐竹義宣のもとに預けられていたようです
そのため、豊臣秀吉が発病した際に、曲直瀬玄朔が側について治療を行うことができず、亡くなってしいまいました。


豊臣秀頼のときには復帰していたようです
豊臣秀吉の毒殺説も
豊臣秀吉は毒殺されてしまったという説もあります。18世紀に編纂された朝鮮の書物に「豊臣秀吉は沈惟敬によって毒殺された」と記載されています。
文禄の役(第一次朝鮮出兵)の和睦交渉として、明国(中国)から使者として、沈惟敬が派遣されました。沈惟敬は日本側の使者である小西行長などと和睦交渉を行っています。1596年には豊臣秀吉とも会見しています。
この会見の際に、豊臣秀吉に「秘薬」と称して毒を飲ませ、毒殺しようとしたと言われています。


この面会は1596年で、豊臣秀吉が亡くなったのは1598年であるため
毒殺説の信憑性は薄いです、、、


沈惟敬と小西行長は日本も明国も騙そうとする欺瞞外交をしたから
太閤殿下は激怒して慶長の役がはじまったんじゃ、、、
豊臣秀吉の辞世の句に込められた意味
豊臣秀吉が残した辞世の句は「露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことも 夢のまた夢」です。現代語訳すると、「露のようにこの世に生まれ落ち、露のように儚く消えてしまうこの身。大坂で過ごした栄華の日々は夢のようだ」です。天下人にまで上り詰めた男の辞世の句にしては、あまりにも人の世の儚さが滲み出ています。


豊臣秀吉はどうしてこんな歌を詠んだでしょうか?
豊臣秀吉は百姓として生まれ、織田信長(演 : 岡田准一)に出仕してからずっと出世を続けてきました。そして、本能寺の変で主君を失うも、明智光秀(演 : 酒向芳)を破り、さらに柴田勝家(演 : 吉原光夫)を討ち取りました。天下人への階段を一歩一歩駆け上がるさなかの秀吉は、光のベールをまとうが如き神々しい姿だったでしょう。だからこそ、天下人にまで上り詰めたとき、豊臣秀吉には巨大な虚無感に苛まれたのではないでしょうか。
豊臣秀吉の最期はさらに哀れでした。幼い豊臣秀頼(演 : 作間龍斗)をあろうことか徳川家康(演 : 松本潤)に託してしまいました。力のあるものが天下を握るのは戦国の掟であり、百姓であった豊臣秀吉ほど身にしみて知るものはいないはずでしょう。このような状況下で豊臣秀吉はこの辞世の句を詠んだのでした。


死後、すぐに関ヶ原が起こって徳川政権となりましたが
雲の上からどのように眺めていたんでしょうか?
天ぷらを食べすぎたのは徳川家康
豊臣秀吉の死因の1つとして、「天ぷらを食べ過ぎて亡くなった」という説があります。しかし、これは間違いであり、徳川家康が天ぷらを食べ過ぎて死去したという説と混同された説だと考えられます。ちなみに、徳川家康は鯛の天ぷらを食べて亡くなったようです。


天ぷらは16世紀にポルトガルから伝えられました


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