
戦国武将たちの中にはグルメ家だった武将も多くいるみたいやなー

長生きするには「食」にこだわらんといけんからのー

天下を取るには長生きが大事だからねー
それでは食へのこだわりが強かった武将を見ていこう!!
独眼竜は美食家だった!?
東北地方の覇者・伊達政宗。実は政宗、かなりの美食家でした。それも政宗自ら厨房に入って包丁をもって料理するほど。またトイレに長くこもって夕食の料理を何にするかを考えるのが1番の楽しみだったといいます。
政宗はさまざまな料理を創作し、中でも有名なのが、「ずんだ餅」です。さらに伊達巻きを大好物だったため、「伊達巻き」と名付けられたといいます。


「料理の心得がまったくない者は心も貧しい」という言葉を残していて
政宗の食へのこだわりがよくわかるよね
また政宗は3代目将軍・徳川家光をもてなすためにかなり豪華な料理を振舞ったといいます。


政宗は食に気を遣っていたから70歳と長生きしたんじゃろなー


(東福寺霊源院蔵)
越後の龍上杉謙信も美食家!?
「軍神」といわれ、武田信玄と死闘を繰り広げた上杉謙信。その食事は一汁一菜とかなり質素なものでした。また謙信は酒豪で知られ、肴はいつも梅干しだったといいます。


謙信はどんなに飲んでも乱れなかったけど
最後は飲みすぎて亡くなってしまったぞ
ところがいざ合戦となると、「かちどき飯」と呼ばれる山海の幸をふんだんに使った豪華な料理を将兵に振る舞ったといいます。


「越後兵」はとても強くて戦国最強といわれておったんじゃ
越後(新潟県)が米どころじゃったからかもしれんなー


「四九年一睡の夢 一期の栄華一杯の酒」
(上杉神社蔵)
超健康嗜好の徳川家康
江戸幕府を開いた将軍徳川家康。健康にはかなり気をつけていたようで、好物は麦飯でした。さらに健康に気をつけるため、よく噛んで食べていたといいます。


家臣が白米を出してきたときは食べずに、
かわりに麦飯をださせたんじゃ
ところが晩年天ぷらにはまってしまい、食べすぎて亡くなったといわれています。普段は粗食であるため、脂っこいものを食べれなかったのでしょう。


実はわし、胃がんだったんじゃ
天ぷらが原因か本当のところはわからん


三河(愛知県)出身だから八丁味噌が好きだったみたい


(大阪城天守閣蔵)