戦国時代にはたくさんの英雄が歴史に名を残したけど
彼らの子どもたちはどうだったんだろう
二世というやつじゃな
皆が期待している分大変じゃなー
今でも、二世はつらそうだ
戦国の二世武将の苦難をみてみよう
武田勝頼の苦難
武田勝頼は武田信玄の四男として誕生したため、諏訪家へ養子に出されていました。ところが、長男の義信が亡くなってしまうと、勝頼に当主の座がまわってきます。
次男は盲目で
三男は夭折していたよ
ところが、信玄の実の子であっても、「諏訪家の人間が跡を継ぐのか」と考え、勝頼を「出戻り」、「今更」などと見下している家臣団が多かったようです。また、武田信玄があまりに偉大であったため、勝頼には信玄のような求心力がないと評価されていました。さらに年のいった信玄時代からの家臣団とも仲が良くなかったといいます。
このような状況であっても、武田勝頼は国をまとめ、織田信長に対抗しなければならず、信玄が亡き後10年で滅ぼされてしまいました。
信長に対抗する前に、国の中がバラバラだなー
上杉景勝の苦労
上杉景勝は軍神・上杉謙信の姉の子として生まれ、謙信の養子となっていました。そして、謙信が亡くなると、北条家から謙信の養子として送られていた上杉景虎と家督争いが勃発。景勝は長い争いの末に、当主となりました。
謙信が生前に当主を指名していれば
争いは起こらなかったのに
また、なにかと謙信と比較されていたようです。そのせいで、景勝は威厳を保つために滅多に笑わないようにしていました。
織田信長の脅威がありながらも
江戸時代まで上杉家を残せたのはすごい
豊臣秀頼
豊臣秀頼は天下人・豊臣秀吉の後継者。秀吉の子に生まれれば、生涯安泰といきそうですが、そうでもありませんでした。
豊臣秀吉亡き後、力をつけた徳川家康に悩まされてしまいます。数々の苦難を乗り越えてきた徳川家康に、戦を経験したことがない豊臣秀頼に勝ち目はありません。結果として、豊臣家は滅亡してしまいますが、秀頼が無能であったのではなく、もはや運命としかいいようがありません。