戦国時代の豆知識第二弾!!
戦国時代では当たり前だけど
現代人にとっては意外なことを紹介していくコーナーです!
戦場での話をメインに話してゆくぞ
戦場では刀は使わない!?
武士といえば日本刀。しかし、戦国時代の戦いでは刀での斬り合いはほとんど行われませんでした。
じゃあ何で戦うの?
合戦に使用された武器は刀、槍、弓、鉄砲、石などです。この中でもっとも殺傷能力があったのは槍といわれています。鎌倉時代から室町時代の初期には兵器の主流は弓でしたが、室町時代後期から戦国時代にかけては槍が主流となり、広く使われました。槍は相手を突くのでなく、棒のように叩いて使うことが多かったようです。次に殺傷能力が大きかったのが弓です。鉄砲が使われるようになっても、扱いやすく威力があるため重宝されました。
「武家の棟梁」は「弓矢の棟梁」といわれるくらい
鎌倉時代には弓が主力の武器だったんじゃ
武器の殺傷能力を順に並べると
槍、弓、鉄砲、石、刀
石は作る手間もなく、お金もかからず、扱いやすい上に絶大な効果を発揮するため非常に重宝されました。先ほども述べたように刀では戦わないため、刀は武士のステータスでした。
合戦での死亡者のうち
1割は投石による攻撃だとか
武将はポニーに乗っていた!?
ドラマや映画などでは戦国武将が馬に跨って颯爽と大地を駆け回っているシーンがよく映し出されています。しかし実際には戦国時代の馬はドラマのようなスラっとした馬ではありません。このような馬は近代になって欧米から持ち込まれた馬であって、戦国武将が乗馬していたのは日本に古くからいたずんぐりとした体型の馬。いわばポニーです。想像する馬よりもかなり小型ですが、戦国時代の平均身長が157センチであったことから、小さくて乗りこなすやかったのかもしれません。
武将たちは馬に協調性や忠実さを求めたみたいだ
また、戦国武将にはお気に入りの馬を所有していました。1番お気に入りの馬が疲れると他の馬に乗り換えていたようです。戦国最強の武田騎馬隊を率いた武田信玄も必ず馬を2、3頭携えて合戦に赴きました。
戦場では馬に乗りながら戦うイメージだけど
実際は馬から降りて互いに名乗ってから戦うみたい
加賀百万石ってどれくらいすごいの?
戦国時代、報酬は石高によって授けられていました。この石高の一石ってどのくらいか知っていますか?
たしかに加賀百万石ってどのくらいなんだ?
石高はある土地におけるお米の生産量を表します。田畑や屋敷などの土地すべてをひっくるめた米の生産量を算出していました。つまり、石高は米の収穫量といえます。また一石は1人の成人男性が1年間に食べる米の量であり、米10キロを3000円とすると、一石は5万円程度となります。
ということは加賀百万石には500億円程の財力があって100万人を養えるということか
100万石はかなり多いのー
天下を取るってどうゆうこと?
戦国武将はよく天下を取りたいといいますが、天下とは具体的にどのような状態か知っていますか?
天下は北海道から九州の日本全国じゃないの?
戦国時代における天下とは御所と室町幕府が置かれた京都周辺を指し、畿内を制圧することを天下を取ると言っていました。
天下人とは畿内を制圧したもののことなのか
また、織田信長や豊臣秀吉が目指した天下統一は私たちがイメージするように日本全国を制圧することを表しています。
わしらは天下統一を成し遂げることで平和な世の中を築きたかったんじゃ
戦国大名の定義は?
戦国武将や戦国大名とかいうけど
明確な定義ってなんなんだろう?
室町時代まで、中央政権に代わって地方を治めていたのは守護大名でした。彼らは年貢の取り立てやインフラ整備、治安維持を担っていました。応仁の乱が起こって幕府の力が弱まると、守護大名から戦国大名へとしだいに移り変わってゆきました。
この違いはなんだ?
守護大名は幕府から任命されていたのに対し、戦国大名は独立した国家の国王です。そのため、戦国大名は自分たちで法律を決めて、自分たちで年貢の取り立てを行います。戦国大名は中央政権の力などには頼らず自分たちの力で国を治め、「いずれ天下に号令せん」と志していたものたちでした。