藤原惟規は高杉真宙が演じる紫式部の弟ですね
惟規は私(紫式部)や父上(藤原為時)と違って
文学には興味なかったのよね
藤原惟規は紫式部や藤原為時よりも先になくなってしまうようですが
なにか会ったのでしょうか?
藤原惟規は紫式部の実の弟
藤原惟規(演 : 高杉真宙)は諸説ありますが、974年に誕生したといわれ、紫式部(演 : 吉高由里子)の4つ下であり、同父同母です。
平安時代において同じ父親で同じ母親の姉弟は珍しいので
大事な存在ですよね
藤原為時(演 : 岸谷五朗)の子として生まれた藤原惟規は幼い頃から、貴族の高等教育を受けました。藤原惟規の歌が「後拾遺和歌集」に10首も選ばれたことからも、一定以上の才は持ち合わせていたと思われます。
成人後は朝廷内で、「従五位下」を授かり、貴族として働いていました。
「光る君へ」の最初の方で
紫式部は勉強してるけど
藤原惟規は学問に興味のない様子が描かれていましたね
藤原惟規は越前(福井県)の国主を任せられた父・藤原為時とともに赴任しましたが、その地で亡くなってしまいました。
藤原惟規が先に亡くなってしまってショックよ
藤原惟規の死因は?
藤原惟規の死因は病死で、僧侶に出家することを勧められましたが、出家せずに拒絶しています。最後に辞世の句を書こうとしましたが、力及ばず、最後の一文字を書くことができませんでした。
藤原惟規の最期を詳しくみてみましょう
藤原惟規の辞世の句
藤原惟規の辞世の句は「みやこには 恋しき人の あまたあれば なほこのたびは いかむとぞおもふ」です。現代語訳は「都には、恋しく思う人がたくさんいるので、この旅は生きて帰りたかったと思う」です。
藤原惟規は父・藤原為時に同行して越前に赴任しており、その旅の途中で亡くなってしまいました。
辞世の句の最後の「ふ」を惟規が書けなかったから
為時が付け加えたものだけど
為時が泣きすぎて、字が消えてしまったようです
藤原惟規と中将の君
「大河ドラマ・光る君へ」では、藤原惟規が選子内親王に仕える女房の中将の君に逢いに行くところが描かれています。選子内親王は神に仕えるものであるため、恋愛は禁止されており、その女房も禁止されていました。しかし、藤原惟規はその目を盗んで、女房に会いに行っていました。
藤原惟規は男子禁制のために、捕まってしまいますが、選子内親王の歌を歌って、その場を切り抜けました。
藤原惟規はいいキャラしていますよね
藤原惟規は紫式部との会話の中で「死亡フラグ」をたてていたため、もう少しで亡くなってしまうかと思うと悲しいものです。