「大河ドラマ・光る君へ」では色々な官職で呼称されてますが
どんな順位づけなんでしょうか
臨時の官職なんかもあるから
ややこしいところもあるわね
今回は平安時代の官職一覧を紹介します!
平安時代の官職
「大河ドラマ・光る君へ」では、「左大臣」、「蔵人頭」など様々な官職が登場しますが、平安時代にはどのような官職があったのでしょうか。
左大臣と右大臣はどっちが偉いんでしょうか?
平安時代の官職は「二官八省」と呼ばれるもので、区分されています。二官と言われますが、神祇官は神事のみを担当し、政治には関わりを持ちません。
太政官
太政大臣
太政官の中で最も偉いのは太政大臣です。太政大臣は天皇の師となるすばらしい役職であり、欠員となってることも多く、具体的な職務内容は記載されていません。
歴史上で有名な太政大臣は平清盛ですが
平清盛は100日くらいしか太政大臣を務めていません
左大臣
左大臣は常設の太政官の中ではもっとも偉い役職です。政務の総括や統括を行う非常に重要な役職です。
藤原道長は左大臣ですね!
右大臣
右大臣は次に偉い人物で、左大臣の補佐を行う役職です。
日本では「左」のほうが偉かったようです
反対に中国では右の方が偉く
「左遷」などは中国の言葉だそうです
内大臣
内大臣は左大臣、右大臣の次の役職であり、直接天皇に仕える重要なポジションです。
わしが「内府」と言われておったのは
「内大臣」だったからじゃよ
摂政・関白
摂政
摂政はもともと、二官八省にはない役職でした。866年に藤原良房がはじめて摂政となり、天皇が幼少の頃を補佐したのがはじまりでした。以降、摂政を置くのが通例となりました。
左大臣・右大臣と違って
天皇と血のつながりが深い人物が成ったそうです
関白
関白は天皇が成人すると摂政から関白に変わりました。「間(あずかり)もうす(白)」という意味だそうです。
豊臣秀吉が関白になったことが有名ですね
納言
大納言・中納言
大臣に次ぐ役職が大納言・中納言です。大納言は天皇が言葉を受けて、臣下に伝え、臣下が天皇に伝えたいことを大納言が中継して奏上するという役割を果たしていました。
中納言は大納言を支える役職よ
権大納言・権中納言
大納言や中納言の定員がオーバーしたときに臨時につくられる役職です。
言葉を伝えるから
「納言」なんですね
少納言
少納言は天皇が決めたことに印鑑を押す役割を果たしていました。さらに、秘書的な役割として天皇の側近侍従していました。
蔵人頭ができて
仕事も変化してきたようです
左弁官・右弁官
左弁官と右弁官というものがあり、左弁官は中務省、式部省、治部省、民部省を統括し、右弁官は兵部省、刑部省、大蔵省、宮内省を統括していました。
八省
中務省
中務省は八省の中で最も重要なポジションで、「中の政治を務める」役割です。禁中(天皇)のまわりのことや戸籍の管理を行っていました。
天皇の側近の侍従も中務省だったようで
100人以上もいたようです
式部省
式部省は文官の人事業務を担っていました。文官登用のための試験の作成も行っていました。
我が父、藤原為時もここで働いていたの
治部省
治部省は外国との交渉を行っており、現在でいうと外交官のような役割を果たしていました。
石田三成は「治部」と呼ばれていましたね
民部省
民部省は諸国の管理や、租税、田畑の管理を行っていました。
民に関わることをしていたんですね
兵部省
兵部省は武官の人事を行い、諸国の軍事活動を管理していました。
漢字の通りの役職ですね
刑部省
刑部省は刑罰を司る役職であり、裁判や在任の処刑を行っていました。
検非違使ができたことで
仕事は罰金徴収くらいしかなくなったようです
大蔵省
大蔵省は朝廷のものを管理する業務を行っていました。
最近まで、財務省は大蔵省と呼ばれていましたね
宮内省
宮内省は宮中の管理や、天皇の儀式のための用意を行う部署です。
もっとも人数がいたのは宮内省よ