ひろ
光る君への33話の最後で興福寺に強訴されていますが
突然どうしたんでしょうか
紫式部
興福寺の強訴には深いわけがあるのよ
ひろ
平清盛や織田信長も寺社勢力に手を焼いていましたね
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強訴とは
寺社勢力は、自らの要求を朝廷や幕府に認めさせるため、武装した僧兵や神人を集団で派遣して実力行使を行っていました。特に奈良の興福寺と近江(滋賀県)の比叡山延暦寺は、このような強訴を頻繁に行い、興福寺は春日大社の神木、延暦寺は日吉大社の神輿を用いて、内裏に押し掛けました。
要求が通らない場合、神木や神輿を御所の門前に放置し、政治機能を停止させる手段をとりました。この行為は「榊振り」や「神輿振り」と呼ばれています。
ひろ
天下の絶頂を極めた白河の院の手におえなかったものとして
「賽(すごろく)の目」「鴨川の水」と並んで「山法師」が並びたてられていますね
紫式部
それほど僧兵の強訴は恐ろしいものだったのよ
ひろ
僧兵たちの考えとして
神と人間の橋渡し役が天皇であるため
その天皇の上の存在の神が守ってくれると思っていたから
怖くなかったんでしょうね
興福寺の強訴
大和(奈良県)の興福寺はもともと、藤原家の氏寺です。藤原氏の人間が出家して興福寺に入ることもあったようです。つまり、日本でトップの一族と関係あるの寺であるため、非常に力を持っていました。
ひろ
出家した足利義昭も興福寺に入っていましたね
興福寺のある大和の国にも紫式部の父・藤原為時のような国司がいました。興福寺は力を持っていたため、大和守とときどきもめていました。その時、藤原道長は中央政権の長であるため、大和守に加担しました。
その結果、興福寺は藤原道長に対して不満を持ち、強訴に踏み切りました。
ひろ
豊臣秀吉の弟の豊臣秀長はこの治めるのが難しい大和の国を
うまく統治していたんですよね
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