大名は家臣との交流を深めるために宴会を開くことが多かったみたい
戦国武将はみんな酒豪だったのかな?
多くの武将は大酒飲みじゃったが
酒を一切飲まない武将や下戸もいたんじゃよ
下戸な戦国武将っているんだ、、、
今回は下戸な戦国武将を5人紹介していきます!
織田信長は下戸だった!?
織田信長には酒豪説と下戸説の2つの説がある。信長が酒豪という説では、明智光秀に無理矢理酒を飲ませるという酒乱ぶりを発揮している。また、浅井長政や朝倉義景のシャレコウベを盃として宴を開いたりしている。
そうそう
これが信長のイメージだよね
一方、宣教師ルイスフロイスによると、信長は朝早くに起床し、酒を好まず食事も節制するなど、極めて健康的な暮らしを送っていたという。また、信長は日本ではじめて金平糖やバナナを食した甘党と知られている。つまり、信長は酒を飲むより甘いものを食べたかったのかも知れない。
信長も家康くらい健康オタクだったといわれているもんねー
豊臣秀吉は酒を飲まずに宴会を盛り上げていた?
ドラマや小説では、豊臣秀吉が宴会の席で家臣たちを盛り上げている様子がよく描かれているが、実は酒好きではなかったといわれている。秀吉の子飼い武将には酒豪が多いが、秀吉自身が酒好きという資料は出てこない。これは秀吉が下戸だったという可能性を示唆しているのではないか。
また、秀吉は大坂城内に「壁書」という掟を張り出して、「飲めるものは飲めば良いが飲めないものは無理して飲むな」と飲めないものを擁護している。ところが、秀吉は宴会の明るく賑やかな席が好きであった。酒を飲まずとも、人たらしの性格から場を盛り上げていたのだろう。
秀吉が酒を飲まないとは意外すぎる!!!
徳川家康は健康のために酒を飲まなかった!?
徳川家康は戦国武将の中でも群を抜いて健康に気をつけて武将である。戦国武将の中には酒を飲みすぎて命を落とした武将が何人かいたため、家康は酒を飲まなかったのではないかと言われている。また、「酒の飲み過ぎは体に毒だ」と家臣へ言い聞かせていた。
軍神・上杉謙信は酒の飲みすぎで命を落としたんじゃよ
家康が酒を飲まなくなったのは、今川義元の影響を受けているともいう。義元は毎晩のように酒宴を開いては乱れた姿を曝け出していた。家康は義元の情けない姿を知って反面教師にしようと誓ったのではないだろうか。
家康の父の松平広忠は酒に酔った家臣に斬られているし、、、
明智光秀は織田信長からアルハラを受けていた!?
明智光秀はかなりの下戸だったと知られている。しかし、信長の催す酒宴には付き合わなければならなかった。
ある日の酒宴のこと。無理して酒を飲んでいたため、酒が回り、頭がフラフラした。そこで、外の風に当たっていたが、席に戻ってきてからが大変であった。
信長は戻ってきた光秀を睨みつけて、「どこに行っておった、逃げ出そうとしておったのではないだろうな」と詰問した。光秀は「酔いを覚ましに行っただけです」というと、「酔いが覚めたならもっと飲めるだろう」と、信長は光秀に並々と注がれた酒を飲ませようとした。
しかし、光秀が飲めないと言い放ったため、信長は「ならばこの酒を飲むか、刃を飲むかのいずれかにせよ」と刃を突きつけたという。仕方なく、光秀は酒を飲んだという。
織田信長恐ろしすぎる、、、
毛利元就はあえて酒を飲まなかった?
毛利元就は徳川家康と同様に健康オタク。75歳まで長生きしており、晩年まで健康であったという。その秘訣こそ、酒を飲まないことであった。
そもそも、元就が酒を飲まなくなった理由は身内にあった。父・弘元、兄・興元は過度な飲酒で若くして亡くなっている。そのせいで、毛利家は滅亡の危機に陥ってしまった。元就はこのことを教訓にして、息子や家臣に酒の害を伝えた。
元就は決して酒を飲めなかったわけではないみたい
まとめ
今回は意外にも下戸だった戦国武将を5人紹介した。彼らは非常に有名で天下に名をはせた武将ばかり。ということは、「酒が百害あって一理なし」というのは本当なのではないかとひしひしと感じる。
上杉謙信と伊達政宗などは酒豪で知られているね